松岡正剛の千夜千冊・1020夜
オリヴィエ・ルブール
『レトリック』
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しかしいま見ると、プラトンにも巧みなレトリックというものがあったのである。プラトンはソクラテスを話者に立て、そこからゴルギアスやイソクラテスを批判してみせたのであるが、その方法そのものがレトリックだったのだ。このことに気がついたのがアリストテレス ( 291夜 ) だった。
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古代ローマにおいて、レトリックは4段階によって成立していた。「発想」「配置」「修辞」「表出」だ。
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(1)発想 ウレーシス(着想)を得るためのレトリックがある。アリストテレスも指摘していたことだが、ひとつはパラディグマ(例証)を見つけて帰納的な推論ができるようにする。もうひとつはエンチュメーマ(説得)で、アバウトな三段論法をつかって演繹的な論証をしていく。ただしこれらを直接につかってはダメなのだ。そこにはトポスがなければならない。トポスが動くようにならないかぎり、レトリックは生きてはこない。
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トポスは知識や情報を動かす論点の場所なのだ。そのようなトポスを類型化した束は「トピカ」とよばれた。
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(4)表出 ヒュポクリシス。ここはまさに演技を磨くことにあたる。身ぶり、口調、高低、発音が問われる。まさに俳優(わざおぎ)としての訓練が要求される。この表出技術が演劇を、即興詩人を、巡礼歌人を、そして政治家を生み出した。
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換喩・提喩・隠喩である。いずれも比喩のためのレトリックにあたる。
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◆隠喩(メタファー)は暗喩ともいう。類似性にもとづいて見立てをすることだ。「白雪姫」は肌の白さを雪に見立て、「ぼた餅」(ぼたん餅)は餅を牡丹に見立て、「月見うどん」は卵の黄身を月に白身を雲に見立てた。…
◆換喩(メトニミー)は、言葉(名辞)の入れ替えや変更を可能にするレトリックである。たとえば「キツネうどん」は油揚げが入っていることを日本人にはおなじみであるキツネ伝承をつかい、キツネという言葉に代替させている。…換喩では何をもって比喩を代替させたのかがポイントになる。
◆提喩(シネクドキ)は、言葉の意味の代償関係や包含関係をつかって比喩をつくる。「花」といえば桜、「卵」といえばニワトリの卵をすようにするのが提喩にあたる。…「小麦色」も小麦だけの色のことではなく、その言葉に含まれる健康的な色をさす。提喩は一般と特殊をたくみにくぐりぬける比喩なのだ。
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そうでないと、「月見うどん」や「親子どんぶり」や「目玉焼き」を食べるたびに、メトニミーやシネクドキの悪夢を見させられて、たまらない。
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修辞技法 Wikipedia> https://ja.m.wikipedia.org/wiki/修辞技法