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松岡正剛の千夜千冊・1022夜

松岡正剛の千夜千冊・1022夜
三島由紀夫
『絹と明察』
 三島は浪漫主義に惹かれながらも、厭世や逃避をよろこばない。青少年期にギリシア悲劇の洗礼をうけた三島は、たんに現実の代はりに別の函を作つてそこに浪漫を注入してしまふのではなく、現実そのものに立ち向かつて、その矛盾を描ききる方法があることに気がついたにちがひない。浪漫はそれに被せる意匠であればいい。それを徹しさへすれば、ソフォクレスの『オイディブス』 (657夜) がさうであるが、浪漫主義や厭世主義では見え切らない「宿命」が描けることを知つたのである。
 ここまではきつと青年時代にすでに氣付いたことだつたらう。しかしながら、これではまだ表現者に留まるだけである。人一倍自意識の強かつた三島には、たとへどんなに表現がうまく成就したとしても、そこに自分自身の充実がなければならなかつた。いや、充血と云つたほうが三島らしい。かうして察するに、もうひとつの充血装置が新たに作動する必要があつたのである。それを一言で當てるのは容易ではないが、おそらくはニーチェのディオニソスや超人の導入 (1023夜) に近いものであつたと見れば、さうは當たらずとも遠からぬのではないか。
 三島が偽装を好んだ理由を知るには、偽装は事実よりもずつとアクチュアリティに富んでゐるのだといふロジックを知らなければならない。
 いつたい偽装とは何かといふと、またまたニーチェを引き合いに出すことになるが(青年三島がニーチェの偽装論を早々に踏襲してゐたからだが)、そもそも言語が偽装であつて、概念をもつといふこと自体が偽装なのである。たとへば空に浮かんでゐる雲には一つとして同じものはない。そこには同一性がない。雲はつねに多様である。それを「雲」といふ言葉や概念をつかへば、それぞれの雲の特徴や細部は失はれてしまふ。事実を指摘できないことになる。だから「雲」と言つてしまふことは「事実」から見れば「誤謬」なのである。しかしながら、そのやうに「雲」と言ふことによつて、われわれは思考における同一性や連続性を得ることができるのでもあつた。
 この行動姿勢の実践に最初は「父と子」が、ついで「日本及び日本人」が重なつたのだ。だから、三島にたとへば「父殺し」に関するフロイドに勝る思想が醸成されてゐなかつたからと云つて、また「日本の思想」について保田與重郎や丸山真男を凌駕する思想の用意がないからと云つて、三島自身にはそんなことで何をも隔靴掻痒させるものはなかつたと思ひたい。