松岡正剛の千夜千冊・1023夜
フリードリッヒ・ニーチェ
『ツァラトストラかく語りき』
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つまり、ぼくなりの言い方でいうと、ニーチェを「方法」としては読めないということなのだ。
これについては永井均さんが『これがニーチェだ』という本のなかで興味深いことを言っている。「ニーチェは世の中の、とりわけそれをよくするための、役に立たない」「どんな意味でも役に立たない。だから、そこにはいかなる世の中的な価値もない」「マルクスにはなお復活の可能性がある (789夜) が、ニーチェにはない」‥‥と。
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ここで第1思想段階とか第2段思想階とかと区分けしたのは、いま研究者たちが共有しているニーチェ研究の常套的スタイルとはまったく関係がない。ぼくが便宜的に段階を追ったのである。
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父を幼くして亡くしたことや女ばかりに育てられたことと、のちにニーチェが「全人類の父の喪失」としての「神の死」を持ち出したことを万力で締めるように重ねすぎてはいけない。巧妙に折りたたんでもいけない。誰かの例と似ていると見すぎてもいけない。たとえば、三島由紀夫が『絹と明察』 (1022夜) 前後から自決するまで、「日本及び日本人の父親像」 (250夜) を書こうとし、それを自分の身に引き受けたからといって、またその三島が若いときからニーチェに影響をうけていたからといって、ニーチェを三島に似ているなどと思うのは、まったく的外れだということだ。
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ここで第1思想段階である。
まだ学究的だった文献学の研究者ニーチェを横殴りした、もう一人のドイツ人の思想者がいた。アルトゥール・ショーペンハウアーだ。
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ニーチェの第2思想段階は、自分がいったん傾倒したロマン主義的ペシミズムを揚棄することに始まる。
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ツァラトストラが繰り返しを終えた瞬間に見たものとは、おそらくはこういう消息だったのである。そして、ニーチェの第7思想段階の最終場面から高速にやってくるのも、この消息なのだ。さらにいえば、われわれがニーチェの全哲学をへて覗き見られるのは、こういう消息の光景なのである。
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