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松岡正剛の千夜千冊・1024夜

松岡正剛の千夜千冊・1024夜
オスヴァルト・シュペングラー
『西洋の没落』
 問題作である。
 ゲバラの愛読書だった。けれども、いまだに評価が落ち着かない。シュペングラーは文明論的な比較形態学の試みとして世に問うたのだが、この著作の成果を歴史学界がうけいれたことはない。
 しかし一方、シュペングラーの方法と成果は10年をへてトインビーやソローキンやクローバーらに継承された。それがトインビー学派の総集編的な継承でもあったため、そこからシュペングラーの独自性が見えにくいきらいもある。
 大作である。
 話題作である。
 ベストセラーであって、ロングセラーでもある。表題がセンセーショナルで、ヨーロッパ中を疲弊させた第一次世界大戦がやっと終了した1918年の刊行とともに、爆発的に売れた。ただし、これは全部が刊行されたのではなく、初期の草稿にあたるものの刊行だった(第1巻)。けれども「西洋の没落」というフレーズは、その後のヨーロッパの現代と未来を語るうえでの常套語になった(いまでもこの言葉は殺し文句になっている)。
 歴史にも予定調和がありうるというようなことくらいなら、すでにライプニッツの時代から何度も暗示されてきた。けれども、そのことを実証して歴史を解読しなおすという試みは、誰も手をつけない。経済学におけるコンドラチェフの周期や回帰予想のように、統計学による推定ならありうることだった。けれどもシュペングラーは「意味」における歴史実証を試みたのだ。
 まず、シュペングラーの知の扱い方はその螺旋性からしてニーチェに似ているのだが、その学習の蓄積プロセスの特徴からすると、むしろヴィーコ (874夜) に似ている。誰かそのことに気がついて研究してるのなら、教えてほしい。また、シュペングラーの記述には、どこか「歴史のイコノロジー」といった特色があるように思うのだが、どうか。シュペングラー自身は観相学を援用したような口ぶりであるが、ぼくにはフンボルトのような観相学はむしろ乏しく、歴史におけるパノフスキーあるいは科学におけるフランシス・イエイツの趣き (417夜) を感じてしまうのである。