松岡正剛の千夜千冊・1411夜
山下文男
『津波てんでんこ
— 近代日本の津波史 —』
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津波の速さと力と被害は想像を絶するほどに恐ろしい。
津波が来たら、誰のこともかまうことなく、
てんでんこに逃げるべきである。
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著者の山下文夫さんは、1990年の岩手県田老町で開かれた第1回「全国沿岸市町村津波サミット」で特別講演をしたとき、自身の体験をまじえて「津波てんでんこ」を訴えたそうだ。
津波が来たらすぐ逃げなさい。そこでは生きるための非情というものがどうしても必要だ。そうでなければ家族もろともに死ぬ。
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薄墨で「南無阿弥陀仏」と書いたり、ちょっぴり短歌も詠んだが、こういうことではとうてい近づけない。そんなとき、ぼくはふらふらと、「海底に眠る能」のようなものが眼に浮かんできた。そして、ああ、これは「東北の複式夢幻能」だと思ったのだ。まるで土方巽(976夜)の「東北歌舞伎」のことを思い出すかのように。
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シテが主人公で、ワキは「脇」であって「分」である。シテとワキでは衣裳もちがうしセリフもちがうが、そこにはもっと決定的なちがいがある。シテの大半が面(おもて・能面)をつけているのに対して、ワキは直面(ひためん)なのである。シテは幽明をさまよっているけれど、ワキは現実にいる人間なのだ。
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さて、ひるがえって、われわれの国はこの数十年間にわたって「勝ち組」になろうとしてしてばかりいた。
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しかしながら、その「負」は必ずしも3・11の巨大地震と大津波だけがおこしたものではないとも言わなければならない。
すでに古代エミシの時代から朝廷や幕府の制圧と支配をへて、明治政府や軍国主義がもたらした「負」が、ここには連綿と受け継がれてきた。このことは、本書にも、また伊藤重道の『東北民衆の歴史』(無明舎出版)や武光誠(1157夜)の『古代東北まつろわぬ者の系譜』(毎日新聞社)などにも詳しい。
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