松岡正剛の千夜千冊・1417夜
森崎和江
『北上幻想
— いのちの母国をさがす旅 —』
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母国とは何か。
それは探し続けるものである。
九州宗像に住む森崎和江は、
その母国を北上の果てに探した。
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20年ほど前のことになるが、ぼくは高橋秀元や田中優子(721夜)や高山宏(442夜)らと物語の「型」を研究していた。そのなかで、世界中の物語にはそんなに多くはない数の「母型」があることに気づき、これを「ナラティブ・マザー」とか「物語のマザータイプ」と名付けた。
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一方、ユング(830夜)がその心理学のなかで、民族や宗教にひそむ「アーキタイプ」(元型)と呼んだものがあるのだが、それについては典型(ステレオタイプ)や類型(プロトタイプ)に対する原型(アーキタイプ)のほうに分類し、それらいずれにも共通していながら、もうちょっと漠然とした時空間に漂っていたり、どこかに埋め込まれているイメージの母体のようなものをあえて母型と呼び、これを「マザータイプ」とか、たんに「マザー」と捉えるようになっていた。
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他方、ぼくはグレートマザー(太母神)の伝説が好きで、これは最初は『ルナティックス』(ちくま学芸文庫)を連載しているときにのめりこみ、小アジアのディアーナ(ダイアナ)伝説を月女神や月知学に敷延していたのだが、その後にバッハオーフェン(1026夜)の大著『母権論』を読んでからは、世界中のマトリズム(母的思考)に対するパトリズム(父権的思考)の圧迫を知るようになった。
そうしたなか、「母国語」や「母国」や「母なる大地」や「母音」「母体」「分母」という言葉に、しだいに深遠な愛着をもつようになっていったのだ。ぼくはいつかこの言葉を強く発しなければならないと感じてきた。
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1958年に森崎が筑豊の炭坑町に移住をしていたとき、谷川は上野英信や森崎や石牟礼道子(985夜)らと文芸誌「サークル村」を創刊しつつ、大正炭坑に行動隊を結成し、ラディカルきわまりない戦闘を辞さなかったのである。
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谷川自身は熊本県水俣の生まれで、熊本中学・五高をへて東大の社会学科に入り、戦後は西日本新聞社にはいるのだが日本共産党に入党したことで解雇され、大西巨人や井上光晴らと左翼活動をしながら「九州詩人」「母音」などに詩を書いていた。
そのあと中間市に移住して、そのときから炭坑労働者たちと活動をともにするのだが、やがて60年安保のときに共産党を離脱、吉本隆明らと「六月行動委員会」をつくり、大正炭坑の争議では大正行動隊を過激に組織したりした。
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これは「西日本新聞」に連載されたもので、谷川が初めて幼児期と少年期をふりかえったエッセイだった。まことに淡々と「です・ます調」で綴られた回想記ではあるのだが、このタイトル『北がなければ日本は三角』が異様にも突き刺さる。
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