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松岡正剛の千夜千冊・1512夜

松岡正剛の千夜千冊・1512夜
『バガヴァッド・ギーター』
 インド神話の研究者で、『千の顔をもつ英雄』などで多神教型の英雄伝説のマザータイプを解読してみせたジョセフ・キャンベル(704夜)が、最初に研究し、神々のなかで一番好きだったのが、このヴィシュヌ神だった。
 そういうヴィシュヌには多神教独特の性質がある。この世に降りてきて、幾つもの姿に化身ないしは権現してみせるという超コスプレ性質だ。神話や説話では10の姿を見せる。この変身力をアヴァターラというのだが、そのアヴァターラのひとつがクリシュナだった。
ヴェーダという名詞は「ヴィッド」(知る)という動詞の語根から派生した言葉で、知識を意味する。そのころの知識といえば、すべからくが聖なる知識だ。
 そのヴェーダに、サンヒター(本集)、ブラーフマナ(祭儀書)、アーラニカヤ(森林書)、ウパニシャッド(奥義書)があって、この順に深化していった。サンヒターには『リグ・ヴェーダ』(讃歌)、『サーマ・ヴェーダ』(歌詠)、『ヤジュル・ヴェーダ』(祭詞)、『アタルヴァ・ヴェーダ』(呪詞)が収められる。〜
 こんなことを西洋哲学では、めったに提案しない。しかもクリシュナは、たんに放擲するのではないと言った。どこかに「捨てる」のでもない。捨てるだけなら放下でもいいだろう。そうではなくてクリシュナのほうへ向かって、もっといえば他者のほうに「委ねる」ように一挙に放擲されるべきだというのだ。
 これはジョセフ・キャンベルの英雄伝説研究に言う「セパレーション」にあたる。キャンベルの学生だったジョージ・ルーカスはここからの話をゾロアスター教とともに『スターウォーズ』の下敷きにした。
 アルジュナがシヴァを探していると、巨大な猪が走ってきた。このあたりは宮崎駿の『もののけ姫』のシーンを思い出すといい。