松岡正剛の千夜千冊・1570夜
紫式部『源氏物語・その2』
URL> https://1000ya.isis.ne.jp/1570.html
〜
では、もうひとつ。巻14の「澪標」(みをつくし)の、都に戻った源氏が願解(がんほどき)のために住吉神社に詣でると、そこで明石の君も恒例の住吉詣でをしていて二人が鉢合わせをするという場面。
明石の君は気後れをしているんですね。そこで源氏が「みをつくし恋ふるしるしここまでもめぐり逢ひけるえには深しな」と詠むと、やっと明石の君はこれに応じる余裕がちょっと出てくる。それで「数ならでなには(難波)のこともかひなきになどみをつくし思ひそめしか」と答える。
源氏の一首は、身を尽くして恋い慕う甲斐があって、澪標のあるこの難波までやってきたら巡り会えましたね、あなたのと縁は深いんですよと詠んでいる。澪標と「身を尽くし」を掛けています。明石の君は「自分なんて人の数に入らないような身で、特別の甲斐なんて何もないのに、どうしてあなたのことを思うようになってしまったのでしょう」と返歌します。いろいろ掛詞(かけことば)や縁語が櫛されていてわかりにくいかもしれませんが、二人の心境や感情が十分に伝わってきます。
贈答歌というのはこういう感じなんです。独特のコミュニケーションですね。メールやツイッターでもこんなふうにするといいんじゃないかと思うほど、暗示的な言葉の技量のかぎりが尽くされて、相互編集状態をつくりあげています。『源氏』はこんなふうに歌による文脈的編集力を見ながら読めるようにもなっています。だから、やっぱり和歌は欠かせない。
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8.「花宴」はなのえん
(源氏20歳春、桐壺帝譲位・朱雀帝即位25歳。藤壺25歳)
宮中の南殿(なんでん=紫宸殿)で桜の宴が催され、源氏はまたまたその舞を絶賛される。その深夜、右大臣家の姫君である朧月夜(おぼろづきよ 実は六の君)と出会って濡れる。彼女は東宮(のちの朱雀帝)への入内が予定されていたが、源氏に心を奪われる。藤原俊成は全巻を通じて最も優麗な巻だと評した。
◉光源氏「深き夜のあはれを知るも入(い)る月の おぼろけならぬ契りとぞ思ふ」
◉朧月夜「うき身世にやがて消へなば尋ねても 草の原をば問はじとや思ふ」
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9.「葵」あふひ
(源氏22~23歳。六条御息所29歳、葵の上没26歳。
紫の上14歳)
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◉六条御息所「袖濡るるこひぢ(泥・恋路)とかつは知りながらおりたつ田子(たご)のみづからぞ憂き」
◉葵の上「嘆きわび空に乱るるわが魂(たま)を 結びとどめよしたがひのつま(褄)」
◉六条御息所「人の世をあはれときくも露けきに おくるる袖を思ひこそやれ」
◉光源氏「とまる身も消えしもおなじ露の世に 心置くらむほどぞはかなき」
〜
葵の上と六条御息所との「車争い」から、御息所の生霊が葵の上に取り憑いて、葵の上が亡くなってしまうというたいへん有名なところです。しかもここで源氏の長男の夕霧が生まれるわけなので、この巻は『源氏』全体の最初の折り返しになります。ここで物語の屏風がゆっくり折れていくんですね。でも、うっかり「もののけ」(物の怪)をたんなるオカルト扱いしていると、見当違いになります。
そもそも「もののけ」の「け」は病気や元気や習気(じっけ)などの「気」と同じ意味で、「もの」(霊)そのものの気配的属性です。ですからこの「け」が何かに取り憑くには生霊や怨霊がいったん「よりまし」(憑坐)を媒介にして、人に憑くんですね。「もののけ」はそういうツールメディアを使うんです。そんな「よりまし」は童子の姿をしていることも多い。
葵の上の病気も験者がいろいろ祈祷したり調伏したりして、幾つかの「よりまし」を除去するのですが、一つだけぴたりと取り憑いたしつこいメディアがあって、この「もの」のせいで葵の上は亡くなってしまいます。このとき御息所も「もののけ」の動静に応じた夢を見る。そのあいだ葵の上は苦しみ、その途中で夕霧を出産する。なんとも凄い話です。
しかし、もっと重要なことは、王朝文学においては「もののけ」が物語をまるでハッカーのように外側から支配しているということです。そう、ぼくは思っています。
〜
10.「賢木」さかき
(源氏23秋~25歳夏、桐壺院崩御)
六条御息所母娘の伊勢下向が近づき、源氏は嵯峨野の秋に交流するも、御息所の決心は鈍らない。桐壺院が崩御。朧月夜は源氏との仲が知られて正式な入内ができず、尚侍(ないしのかみ)として朱雀帝に近侍する。この事態に弘徽殿の大后(おおきさき)ら右大臣の一派の専横が目立ってくる。それでも源氏は藤壺・朧月夜・朝顔らと危うい懸想(けそう)をくりかえす。藤壺はさすがにこのままでは東宮の位置を守ることは叶わぬとみて、自身は出家するのがいいだろうと落飾してしまう。ある雷雨の早朝、朧月夜のもとに忍んでいた源氏が見つけられた。激怒する右大臣と弘徽殿の大后はいよいよ源氏を失脚させようと、策謀をめぐらした。
◉六条御息所「神垣はしるしの杉もなきものを いかにまがへて折れる榊(さかき)ぞ」
◉光源氏「少女子(をとめこ)があたりと思へば榊葉の 香(か)をなつかしみとめてこそ折れ」
◉光源氏「八州(やしま)もる国つ御神(みかみ)も心あらば 飽かぬわかれの仲(源氏と御息所)をことわれ」
◉斎宮「国つ神そらにことわる仲ならば なほざりごとをまづやたださむ」
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紫式部『源氏物語・その2』
URL> https://1000ya.isis.ne.jp/1570.html
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では、もうひとつ。巻14の「澪標」(みをつくし)の、都に戻った源氏が願解(がんほどき)のために住吉神社に詣でると、そこで明石の君も恒例の住吉詣でをしていて二人が鉢合わせをするという場面。
明石の君は気後れをしているんですね。そこで源氏が「みをつくし恋ふるしるしここまでもめぐり逢ひけるえには深しな」と詠むと、やっと明石の君はこれに応じる余裕がちょっと出てくる。それで「数ならでなには(難波)のこともかひなきになどみをつくし思ひそめしか」と答える。
源氏の一首は、身を尽くして恋い慕う甲斐があって、澪標のあるこの難波までやってきたら巡り会えましたね、あなたのと縁は深いんですよと詠んでいる。澪標と「身を尽くし」を掛けています。明石の君は「自分なんて人の数に入らないような身で、特別の甲斐なんて何もないのに、どうしてあなたのことを思うようになってしまったのでしょう」と返歌します。いろいろ掛詞(かけことば)や縁語が櫛されていてわかりにくいかもしれませんが、二人の心境や感情が十分に伝わってきます。
贈答歌というのはこういう感じなんです。独特のコミュニケーションですね。メールやツイッターでもこんなふうにするといいんじゃないかと思うほど、暗示的な言葉の技量のかぎりが尽くされて、相互編集状態をつくりあげています。『源氏』はこんなふうに歌による文脈的編集力を見ながら読めるようにもなっています。だから、やっぱり和歌は欠かせない。
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8.「花宴」はなのえん
(源氏20歳春、桐壺帝譲位・朱雀帝即位25歳。藤壺25歳)
宮中の南殿(なんでん=紫宸殿)で桜の宴が催され、源氏はまたまたその舞を絶賛される。その深夜、右大臣家の姫君である朧月夜(おぼろづきよ 実は六の君)と出会って濡れる。彼女は東宮(のちの朱雀帝)への入内が予定されていたが、源氏に心を奪われる。藤原俊成は全巻を通じて最も優麗な巻だと評した。
◉光源氏「深き夜のあはれを知るも入(い)る月の おぼろけならぬ契りとぞ思ふ」
◉朧月夜「うき身世にやがて消へなば尋ねても 草の原をば問はじとや思ふ」
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9.「葵」あふひ
(源氏22~23歳。六条御息所29歳、葵の上没26歳。
紫の上14歳)
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◉六条御息所「袖濡るるこひぢ(泥・恋路)とかつは知りながらおりたつ田子(たご)のみづからぞ憂き」
◉葵の上「嘆きわび空に乱るるわが魂(たま)を 結びとどめよしたがひのつま(褄)」
◉六条御息所「人の世をあはれときくも露けきに おくるる袖を思ひこそやれ」
◉光源氏「とまる身も消えしもおなじ露の世に 心置くらむほどぞはかなき」
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葵の上と六条御息所との「車争い」から、御息所の生霊が葵の上に取り憑いて、葵の上が亡くなってしまうというたいへん有名なところです。しかもここで源氏の長男の夕霧が生まれるわけなので、この巻は『源氏』全体の最初の折り返しになります。ここで物語の屏風がゆっくり折れていくんですね。でも、うっかり「もののけ」(物の怪)をたんなるオカルト扱いしていると、見当違いになります。
そもそも「もののけ」の「け」は病気や元気や習気(じっけ)などの「気」と同じ意味で、「もの」(霊)そのものの気配的属性です。ですからこの「け」が何かに取り憑くには生霊や怨霊がいったん「よりまし」(憑坐)を媒介にして、人に憑くんですね。「もののけ」はそういうツールメディアを使うんです。そんな「よりまし」は童子の姿をしていることも多い。
葵の上の病気も験者がいろいろ祈祷したり調伏したりして、幾つかの「よりまし」を除去するのですが、一つだけぴたりと取り憑いたしつこいメディアがあって、この「もの」のせいで葵の上は亡くなってしまいます。このとき御息所も「もののけ」の動静に応じた夢を見る。そのあいだ葵の上は苦しみ、その途中で夕霧を出産する。なんとも凄い話です。
しかし、もっと重要なことは、王朝文学においては「もののけ」が物語をまるでハッカーのように外側から支配しているということです。そう、ぼくは思っています。
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10.「賢木」さかき
(源氏23秋~25歳夏、桐壺院崩御)
六条御息所母娘の伊勢下向が近づき、源氏は嵯峨野の秋に交流するも、御息所の決心は鈍らない。桐壺院が崩御。朧月夜は源氏との仲が知られて正式な入内ができず、尚侍(ないしのかみ)として朱雀帝に近侍する。この事態に弘徽殿の大后(おおきさき)ら右大臣の一派の専横が目立ってくる。それでも源氏は藤壺・朧月夜・朝顔らと危うい懸想(けそう)をくりかえす。藤壺はさすがにこのままでは東宮の位置を守ることは叶わぬとみて、自身は出家するのがいいだろうと落飾してしまう。ある雷雨の早朝、朧月夜のもとに忍んでいた源氏が見つけられた。激怒する右大臣と弘徽殿の大后はいよいよ源氏を失脚させようと、策謀をめぐらした。
◉六条御息所「神垣はしるしの杉もなきものを いかにまがへて折れる榊(さかき)ぞ」
◉光源氏「少女子(をとめこ)があたりと思へば榊葉の 香(か)をなつかしみとめてこそ折れ」
◉光源氏「八州(やしま)もる国つ御神(みかみ)も心あらば 飽かぬわかれの仲(源氏と御息所)をことわれ」
◉斎宮「国つ神そらにことわる仲ならば なほざりごとをまづやたださむ」
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