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松岡正剛の千夜千冊・1571夜

松岡正剛の千夜千冊・1571夜
紫式部『源氏物語・その3』
URL> https://1000ya.isis.ne.jp/1571.html

 では、書き足りないのかといえば、そうではない。紫式部はそうしたくて、そうしたにちがいありません。そのため前夜にも説明したように、この物語には独特の「心内語」(しんないご)がかなり駆使されて、登場人物の気分と状況の推移との「双方のけじめをつけない表現」が連綿したわけです。

 これで日本の天皇家は、これまで一度も「別の家格」による転覆劇がおこらなかったということになります。易姓革命はおこらなかった。武家政権による幕府はできても、天皇を乗っとることはできなかったのです。

 そのときも紹介しておいたことですが、詳しくは先頃亡くなられた松本健一(1092夜)さんの遺著にあたる『「孟子」の革命思想と日本』(昌平黌出版会)を読まれるといいでしょう。

 「氏」には父系的な出自をもつ集団にルーツがあります。歴史学では氏族といいます。この氏族のリーダーは「氏の上」(うじのかみ)です。氏の上は氏人(うじびと)を統率し、部民(べのたみ)や奴婢(ぬひ)たちなどを隷属させて、その地の共有資産を管理します。そして氏神(うじがみ)を奉祀する。これが「氏」です。

 なぜこんなことをしたのかというと、当時の天皇家の経済力がショートしてきたからです。50人も産んでいればそうなるでしょう。皇族たちの経済をこのまま維持続行することが難しくなった。皇族コストがもたなくなった。そこで源氏という氏姓をつくって、それまでの皇族を臣籍に降下させたわけです。天皇家のリストラであって、かつ天下りのようなものです。

 もっとも「源氏」という賜姓(しせい)があったというだけでは、源氏も他の氏姓と同程度になってしまいます。かれらは源氏という氏姓をもらっても出自は准皇族なのですから、そこには何かもうひとつの冠(かんむり)がほしい。
 そこで登場したのが「氏の長者」(うじのちょうじゃ)という冠です。源氏は他のあらゆる氏たちのなかのリーダーだというお墨付きをもらった。

 明治4年に「今後は位記・官記をはじめとする公文書に姓を除き苗字を用いるべし」という通達が出回り、明治8年には「苗字必称令」が公布された。これで、これまでの「姓」はすべて「苗字」に統括されてしまったんです。こうして太陽暦やメートル法やヨコ型紙幣と同じように、日本人は苗字を呼び合うハンコ社会になったんですね。

 『源氏』はほとんど主語をつかわないで物語を仕上げるという快挙をなしとげているのですが、それは表現を曖昧にしたいからではなく、物語という世界に日本古代から継承されてきた「うた」と「もの」が変移変質していたことを訴えたかったから、そうなったんですね。
 その「うた」と「もの」は古代を残照させてはいても、あくまでも醍醐・村上の聖代に近い「うた」や「もの」の物語でなくてはならない。たんなる摂関の物語にしてはならない。式部はそう考えたのだろうと思います。
 つまり『源氏』の主語は光源氏でも数々の登場人物でもなく、「うた」を通した「もの」だったのです。これが式部が選んだ「日本という方法」でした。