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松岡正剛の千夜千冊・1627夜

松岡正剛の千夜千冊・1627夜
潮田洋一郎
『数寄語り』
 葉山の茅山荘。此度は近くの観音堂を寄付(よりつき)にして一休の墨跡を掛けた。かつて畠山即翁が能舞台にしてみせたところだ。薄暗い堂内の墨跡には「一夜落花雨満城流水香」とある。
 飯が炊き上がった頃合いで茅山荘の中の露地見立てを囲炉裏の部屋のほうへ進むと、鉄斎(1607夜)の紅葉狩りの自画賛が迎える。ぼくが子供の頃に何度も遊んだ東福寺通天橋の絵だ。この茶事は2014年の10月なので観楓図が選ばれた。
 第一席の寄付が盛茂燁の山水、脇に方以智の枯木図である。
 第二席でお茶が出ると、これが蘆雁文(ろがんもん)である。
 第三席は会席である。揚州八怪や酒井抱一が待っていて、第四席の薄茶になっていく。最後は磁州窯の絵高麗(えごうらい)で抹茶をいただく。中国茶碗で抹茶をたのしむのである。煎茶道と茶の湯の相乗りだが、このような「煎抹一如」の趣向は今日の日本で体験できるのは希有のことだ。
 実は煎茶も戦後日本のなかでどんどん形骸化していった。残念ながら京都の煎茶はいまなお低迷したままだ。小川後楽(406夜)さんの次の世代に賭けるしかないだろう。ここはやっぱり一挙に数寄なのである。
 4つ目の茶事は、南禅寺界隈の一隅を譲り受けて、これを隈研吾(1107夜)に構成設計してもらった造作に、林屋さん、武者小路の千宗屋さん、樂さんの子息の篤人君が招かれた。宗屋さんは若い頃から新たな目利きとして注目されてきた茶人だ。
 そして、もうひとつ、本書にも少し言及されているのだが、茶碗にかぎっていえば光悦の次は半泥子(1179夜)にとぶのだが、このことも説明ができないままになっている。千宗屋も言っている、「半泥子っていうのは作る数寄者だったですからね」。