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松岡正剛の千夜千冊・1632夜

松岡正剛の千夜千冊・1632夜
デヴィッド・L・ユーリン
『それでも、読書をやめない理由』
URL> https://1000ya.isis.ne.jp/1632.html

 コーエンはこうも書いていた、「仏教徒たちは水を描写するには泥が沈むまで待ちなさいと言うが、オンラインの情報は浮き上がった泥が沈むことがない。水はたえず掻き回されてばかりいる」と。

 一方、本を読む(つまり読書)とは何かというと、読み手はこれを自由に編集してよろしいということだ。どんな本もいろいろな感想をもって読んでもいいということは、読み手は好きに「本読み編集」ができるということである。つまりは読書もまた編集の継続なのである。

 千夜千冊の作業をすることは「読む」と「書く」とを頻繁に往復することだった。

 しかしぼくのように15年以上にわたって1冊ずつの本に「読む」と「書く」を同時に縫い取っていくと、文章を読んで何かを感じるというプロセスがいったいどのように出来上がっているのかが、かなりよく見えてくる。