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松岡正剛の千夜千冊・1638夜

松岡正剛の千夜千冊・1638夜
リチャード・ホーフスタッター
『アメリカの反知性主義』
 あらかじめ言っておくが、反知性主義は無知性や無教養のことなのではない。
 ロラン・バルト(714夜)が早々にあきらかにしたように、無知というのは知識の欠如なのではなく、知識に過飽和されていて、未知が見えなくなったり、新たな未知を受け入れることができないことを言う。狭隘になった知性が無知なのだ。
 『アメリカの反知性主義』は1964年に刊行され、その年のピューリッツァー賞に輝いた。
 早い話が、日本では親鸞(397夜)や出口王仁三郎や池田大作やオウム真理教を、反知性とはみなさない。内田樹(1458夜)が構成した『日本の反知性主義』(晶文社)にもそういう記述や指摘はまったくない。
 日本人がホフスタッターを読むには、この前提のなさが理解を妨げる。それなら、ホフスタッターの本はどういうものなのか。もちろん日本人が理解しやすいようには、これっぽっちも書かれていない。それどころか、かなり色濃いアメリカニズムになっている。
 信仰至上主義のほうは、個人間の信仰コミュニティでの「恩恵の契約」(covenant of grace)のために、それぞれの義認(justification)を優先させる。救済準備主義は倫理的生活を重視して「業務の契約」(covenant of works)を守ろうとするので、仕事の聖化(sanctification)を重視する。
 これらが平行しながら活性化していった。いずれも労働契約を重視しているという点で、のちのアメリカン・ビジネスの繁栄を約束させるアメリカらしいスタートだった。
 キリスト教では、たとえ幼児洗礼を受けていたとしても、成人してからあらためて自分の意志で罪を悔い改めて洗礼することによって、初めてクリスチャンになれるというふうになっている。これを「回心」(conversion)という。
「熱意なき知識」よりも「知識なき熱意」を訴えて、アメリカ人の心を鷲掴みにした。
 ノーマン・メイラーはかなり破天荒で痛快な作家である。ハンガリー系ユダヤ人で、ハーバード卒業後は陸軍兵士としてルソンで戦い、終戦後は進駐軍として館山や銚子や小名浜に滞在した。こうした体験を書いたのが『裸者と死者』だった。ヘミングウェイ(1166夜)の戦争ものを、初めて凌ぐ傑作があらわれたと騒がれた。そのあとの『鹿の園』も傑作で、大江健三郎がぞっこんだった。
 以降、アメリカでは「野卑なる者が好きな暴言をしつづければ、貴族的な理性は敗退する」と揶揄されるようになった。
ジョーン・バエズやボブ・ディランの歌とともにあることと「ジーザース・クライスト!」と叫ぶことは一緒くたになったのだ。





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