松岡正剛の千夜千冊・1643夜
アン・アリスン
『菊とポケモン 〜グローバル化する日本の文化〜』
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本書は、これらのミレニアル・モンスター(千年紀の怪物)たちを擁した日本のポップカルチャーが、どうして「ファンタジーと資本主義とグローバリズム」という3要素をものにできたのか、なぜそこに「テクノ・アニミズム」あるいは「ノマディック・テクノロジー」ともいうべき日本独特の表象力が加われたのかを、大まじめに論じた一冊である。
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ジェンダー・アイデンテイティが多様に変容するのも、アメリカやフランスでのヒットにつながった。フロイト(895夜)はかつてそれを多形倒錯(polymorphous perversion)と名付けたが、『千と千尋』には多形倒錯というより多形変容がめざましく、かつその変容に自信が漲っていた。アメリカ人はたとえおかしなキャラでも自信に満ちているのが好きなのだ。
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アン・アリスンはそうした日本人の嗜好は小学生や女学生の通学感覚や持ち物感覚にもあらわれていて、そこには「メディエイテッド・トランジション」(移動する中間状態)のようなものが沸々としているのではないかと見た。
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この傾向を、かつて中沢新一(979夜)は『ポケットの中の野生』(岩波書店)では、レヴィ=ストロース(317夜)に倣って「原始の無意識状態」というふうに指摘した。ダナ・ハラウェイ(1140夜)は「有機体による機械吸収がもたらしたサイボーグ性」と言った。そうだとしら、そこにあるのはまさにテクノ・アニミズムなのである。「原始の無意識状態」が数々のサイボーグ化するキャラたちを経験値やファンタジック・テクノロジーで武装させさえすれば、なぜか気がすむのだ。
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