松岡正剛の千夜千冊・1647夜
シリーズ20世紀の記憶
『ロストゼネレーション
ユリシーズと関東大震災
〜失われた世代 1920-1929〜』
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ワイマール文化の特徴は「知の再構築」にある。マンハイム、エーリッヒ・フロム、アドルノ(1257夜)、ホルクハイマー、マルクーゼ(302夜)、カッシーラー、フッサールらの知識人が毎夜にわたって世界の構成方法をめぐって議論した。こういうところがドイツ人の徹底した根性だ。
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ロシア人の20年代については、レーニン(104夜)やトロツキー(130夜)の革命活動もさることながら、その文章にも注目したい。レーニンはマッハの感覚論について、トロツキーは未来派について鋭い考察をしてみせている。ぼくはソチの冬季オリンピックの開会式の映像演出にロトチェンコもレーニンも出てきたことに喝采をおくったものだ。
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こうして開花した大正中期文化は、1923年の関東大震災でいったん決定的な打撃を被った。また、それまで破竹の勢いでアナキズムを激情させていた大杉栄(736夜)が震災とともに殺害され、ここに幸徳秋水以来の社会主義文化も退嬰しそうになっていくのだが、ここからが異常にしぶとかった。
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しかし、一言で日本の20年代を一人の短い生涯によって象徴させるなら、ひょっとすると宮沢賢治(900夜)をあげるべきかもしれない。賢治の『春と修羅』は大正末年の1924年の刊行だ。28歳の生涯を終えたのは昭和8年、1933年のことだった。
日本が満州事変に突入し、忌まわしい日々に揉まれていった矢先、賢治は透徹した表象に全身全霊を賭け、その言葉の錬丹術を鉱物的結晶のごとくに究めていた。本巻では与那覇恵子が賢治のページをうけもっているが、そこには賢治は日本を「異人の目」で見ていたという適確な指摘がしてある。
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