スキップしてメイン コンテンツに移動

松岡正剛の千夜千冊・1674夜

松岡正剛の千夜千冊・1674夜
リチャード・E・ニスベット
『木を見る西洋人 森を見る東洋人
〜思考の違いはいかにして生まれるか〜』
 自分自身に対する信念というのは今日でいう「主体性」のことである。この個人と主体をめぐる意志のようなものは、その後の西洋で「議論する」「討論する」というコミュニケーション・スタイルを支えた。
 スコーレ(schole)の蠢動だった。スコーレは社会の基礎工事の工法になった。プラトン(799夜)はソクラテスから継承した「対話」を重視したが、なぜ、そうしたかといえば、対話はスコーレ(議論)の前提だったのである。そのうち、そこにイデア(理念)が芽生えた。それをアリストテレス(291夜)は幾つかの思考分野に沿って言葉によって論理(ロゴス=ロジック)の建造物に組み立て、それらを大きくはフィジックス(自然学)とメタフィジックス(形而上学)に仕立て上げた。
出自がアメリカではないオバマ大統領が日本の印象を、端的に「鎌倉の大仏」(東)とそこで口にしたアイスクリームの味(西)で語るのをニュースで見たとき、ぼくは、ああ、これはキップリングそのままだなと思ったものだ。
 西洋人が「木を見る」のに対して、東洋人には「森を見る」傾向があると言われるようになったのが、いつごろのことだったかはわからない。
 ぼくがそのことを意識するようになったのは鈴木秀夫の『風土の構造』『超越者と風土』(大明堂)を読んでからで、これで目を洗われた。のちの『森林の思考・砂漠の思考』(NHKブックス)のころは、「木を見る西洋、森を見る東洋」という見方は、もう広がっていた。その後は安田喜憲の『蛇と十字架:東西の風土と宗教』(人文書院)や『東西文明の風土』(朝倉書店)などがしきりに「木の西洋、森の東洋」を力説した。
 感性文化としての「東風」が意識されるようになったのは、アレン・ギンズバーグ(340夜)やジャック・ケルアック登場以降のアメリカ人によるものだったと思う。
 ようするに、Wは「発信機」的で、Eは「受信機」的なのである。まあ、それはそうだろう。Wは「獲得する地位や役割」に関心が高く、Eは所属する属性による地位や役割を大事にするのだ。これも、まあ、そうだろう。
 われわれはもう一度、文明と文化の箱の中のものをぶちまけて、そこから愉快で痛快なリプリゼンテーションを再編集するしかないのではないか。そう、言いたくなる。さもなくば、アイテムとシンボルによる東西文化比較などやめてしまうことである。太古このかた今日に至るまで、木と森は「かわる・がわる」に見るものだ。そのどちらかしか見てなかっただなんて、ネアンデルタールも幼児もしてこなかったことなのである。