松岡正剛の千夜千冊・1677夜
坂部恵
『かたり
〜物語の文法〜』
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そもそもは「何もないウツ」(空)と「何かが顕在してくるウツツ」(現)とが対応しているのだ。「ウツ」は太初のウツロ(空洞)やウツホ(空穂)の状態であって、「ウツツ」は現実であり、現況である。
このウツからウツツへの進行の途中に、ウツリやウツロイやウツシが動く。それは「移」であって「映」であり「写」であるような、何かを移ろわせつつ映し写されていく絶妙のプロセスである。こうしてウツリやウツロイが進捗していくと、そこに突如として「顕し」が現れてきて、世の中から見ればこれが紛うかたなきウツツとしての現実に見えてくる。
ということは、ここには最初から何かが隠れていて、それが徐々に顕われてきたのだというふうにも推理できる。ウツは何もないカラッポのようでいて、そこには何かが胚胎していたのである。
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いろいろ考えていくと、事情ははっきりしていた。「うつし」はこれらをすべて含んだもので、かつそこにさまざまな「しるし」のさまがわりを示しうる方法だったのである。ただ、アウエルバッハもボードリヤール(639夜)も、その「さまがわり」を説明できなかった。こうして坂部はこの「さまがわり」に言及できた思索者をさがし、それがチャールズ・パース(1182夜・1566夜)にあったことに思い至るのである。
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