松岡正剛の千夜千冊・1709夜
黒岩比佐子
『パンとペン
— 社会主義者・堺利彦と「売文社」の闘い —』
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早稲田の2年か3年のとき、民芸が木下順二の新作『冬の時代』を初演した。素描座(学生劇団)の仲間たち数人と観にいった。
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『冬の時代』は滝沢修が堺利彦の役で、鈴木瑞穂が大杉栄を、大滝秀治が高畠素之を、芦田伸介が荒畑寒村を、堀井永子が奔放な伊藤野枝をやっていた。演出は宇野重吉だ。この顔ぶれだからかなり社会批判的なメッセージの濃い舞台になっていたのだが、さすがに役者はうまい。ぼくはこのとき、ふうん堺利彦って意外にもおもしろい奴なんだという印象をもった。平民新聞や大逆事件のことくらいしか、堺利彦のことはほとんど知らなかったのだ。学生劇団なんて、まあ、そんなものである。
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著者の黒岩比佐子さんには『編集者国木田独歩の時代』(角川選書)で注目して、『音のない記憶 ろうあの天才写真家井上孝治の生涯』(文芸春秋・角川文庫)で共感した。
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「ペンを以てパンを求むるは僕等の営業である。今度僕の社で拵へる年始の葉書には、食パンに万年筆を突きさした画をかいて、それを商標の代りにする事にして居る。(中略)世にはペンとパンとの関係を秘密にする者がある。或は之を曖昧にする者がある。或は之を強弁する者がある。そして彼等のペンは、其実パンの為に汚されて居る。僕等はペンを以てパンを求める事を明言する」。
売文社の開業は1910年12月のこと、赤旗事件で入った東京監獄から出獄したのが9月下旬だから、3カ月ほどでの起動だった。目的は「ペンを以てパンを求める」というもので、これはクロポトキンのセンセーショナルな『パンの略取』(岩波文庫)にも肖(あやか)っていて、いかにも気を衒わない堺らしい宣言である。だいたい「売文」をあえて謳うなんて、堺にしか思いつけない。
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明治15年に上京して、第一高等中学校に入った。兄の乙槌は慶応義塾生になって早々に文学に目覚めていたが、堺は遊蕩に溺れた。母親が丹精こめた博多帯も羽織も袷の着物も、みんな質屋に入って遊蕩に費われた。
ただ時代が頓(とみ)におもしろかった。尾崎紅葉(891夜)が硯友社をつくって「我楽多文庫」を刊行し、坪内逍遥が『当世書生気質』を著して、遊蕩書生にも鼓舞させる気炎を吐いていた。その逍遥の『小説神髄』を読み、徳富蘇峰(885夜)の民友社が繰り出す「国民之友」を読んでは、青年堺利彦もじっとはしていられなかったのだ。
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大杉や堺が獄中にいるあいだに、今度は大逆事件がおこった。宮下太吉が長野県の川手村の明科製材所で爆裂弾を製造実験し、近くの山中で爆破実験をしたのち、幸徳秋水らと謀って天皇暗殺を企てたという理由である。
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大逆事件の一切の経過を知らないままにいた獄中にいた堺利彦は、明治43年に出獄してすぐに幸徳秋水らの死刑の現実を突き付けられた。
遺体を引き取り、秋水の遺稿となった『基督抹殺論』を高嶋米峰の丙午出版社に託し、遺族たちの慰問に出向いた。秋水の墓に詣でて「行春の若葉の底に生残る」と詠んだ。大杉栄の「春三月縊り残され花に舞ふ」と並ぶ句だ。
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