松岡正剛の千夜千冊・1718夜
フランソワ・ジャコブ
『ハエ・マウス・ヒト』
〜
眼目は、生命は高分子に発して代謝をくりかえし、分化と進化をしながらみずからブリコラージュ(修繕)してきたということにある。生命は分化と進化の途上のそのつど、設計図を変更してきた。やりくりしてきた。そういう生命を相手にしてきた生物学の考え方を、ジャコブが本書でブリコラージュしてみる、やりくりしてみる、つまり編集的に思索してみせた。
〜
動物の予測装置も不出来なのだが、その不出来ぐあいが生物それぞれの特色をあらわしてきた。そこでジャコブはこの不出来なところにこそ大事なものがあるとみなして、これを「予見不可能性」の大切さと呼んだ。同じことをほぼ同時代のルイス・トマス(326夜)は「取るか取らないかで、いったん取ったら好きなところだけ食うわけにはいかない。思いがけないことも不安材料も受け入れる」と述べた。
〜
遺伝子が「発現」(expression)にかかわっていることが見えてきたのは、画期的だった。遺伝子がもっている情報が、細胞の構造や機能に転換されるにあたって、「転写」と「翻訳」に続いて「発現調節」(つまりはgene editing)がおこっていたのである。
〜
ジャコブはプロメテウスとパンドラの関係が裏表の関係にあり、パンドラが世界に両義性をもちこんだと解釈する。科学や技術もこの両義性をもっていると見た。
〜
すでにヴィクトル・ユゴー(962夜)が言っていた、「科学とは真理の漸近線である。たえず真理に近づくが、真理に触れることはない」。
〜