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松岡正剛の千夜千冊・1726夜

松岡正剛の千夜千冊・1726夜
室井康成
『事大主義』
 慰安婦問題、徴用工問題、竹島領有問題などが重なって、日韓関係はややこしいデッドロックにひっかかったままにある。拉致問題このかた北朝鮮との他人行儀すぎる付き合いも、およそ打開策をもてないでいる。「韓流ブーム」かとおもえば「嫌韓」なのである。
 英語では「事大主義」のことを“toadysm”とか“flukyism”と言うのだが、この英語からは東アジアにおける事大主義の複雑骨折したような動向は見えにくい。
 とくに近代日本では福沢諭吉(412夜)が「事大」に「主義」をくっつけて「事大主義」という新しい言葉をつくってから、歴史的意味が変化した。
 もともと「事大」という言葉は孟子(1567夜)の「以小事大」に由来して、小国が選んで大国に「事(つか)えることをあらわした。
 ということで、本書は次のように結ばれる。‥‥事大主義の起源は、日本が描き出した朝鮮という「他者像」なのである。だが、それは見つめれば見つめるほど、自分の姿とよく似ていた。だから事大主義こそ日本の国民性だとする言説は、朝鮮を“鏡”として描き出された日本の「自画像」だったのである。
 きっとそういうことだったのだろうと思う。そう思うのではあるが、このようなことは日本や朝鮮半島や東アジアにのみあてはまるのかどうかといえば、そうでもあるまい。ジュリア・クリスティヴァ(1028夜)の言う「アブジェクシオン」(おぞましさ)が東アジアのもっと深いところで、もっと多民族間の「恐外病と侮外病」になってきたのだと思われる。