スキップしてメイン コンテンツに移動

松岡正剛の千夜千冊・1729夜

松岡正剛の千夜千冊・1729夜
E・T・A・ホフマン
『牡猫ムルの人生観』
 ナタナエルはこんな手紙を幼ななじみのロタールに書いた。僕は小さい頃から母さんや婆やから世にも怖しい「砂男」なるものの話を聞かされてきた。眠らない子供の目玉をくりぬいてしまうという砂男だ。僕はきっと砂男はどこかにいるにちがいないと信じるようになった。
 ナタナエルはいったん帰省していたのだが、どこか熱に浮かされるようなことを言い、ロタールやクララとのあいだで諍いがおこるようになっていた。ナタナエルはもともと夢うつつな男の子なのだ。あげくにちょっとした行き違いで、ロタールと決闘することにさえなるのだが、クララが止めに入って事なきをえた。
 ナタナエルは母親と幼なじみと別荘に移ることになった。4人で別荘に向かっている途中、クララが市庁舎の塔に目をつけ、ねえ、あそこに昇ろうよと言った。塔の上でナタナエルが望遠鏡を出して景色を眺め、ナタナエルはクララを塔から投げ捨てた。「まわれ、まわれ」と言いながら、ナタナエルも塔から落ちて死んだ。
 騒ぎを聞いて駆けつけた人ごみの中に、あの弁護士コッペリウス(砂男)の姿があった‥‥。
 砂男がどうして砂男(Sandmann)とよばれているかということも、付け加えておかなければならない。この怪物は眠らない子の目に砂をかけ、その目玉を取り出してしまうのである。
 牡猫のムルは1810年代のドイツの某都市ジークハルツヴァイラーの屋根裏の暗がりで生まれた。すぐに表で遊ぶようになったが、母猫がどこかに行っているあいだに、通りすがった老婆がムルと数匹の子猫を近くの川に捨てた。ムルは溺れかかり、なんとか必死で橋桁にしがみついていたところ、そこへ魔術師のアブラハム・リスコフ(あのアブラハムだ)がずぶ濡れの子猫に気がつき、拾って帰ってムルと名付けた(さきほどウェブを覗いてみたら、日本には何軒かの「ムル」というペットショップがあった)。
 ムルは魔術師の日々にすぐ慣れた。慣れるのは当たり前、そんなものじゃない。ご主人の机の上に前脚を折って坐り、アブラハムが声を出して本を読むのを聞き、文字を目で追ううちちにドイツ語を習得したのだ。このことはムルに潜在していた才能をさらに引っ張り出した。天才猫は羽根ペンの使い方をマスターして自伝を書くようになったのである。
 そんなとき修道院に新たな僧がやってきた。ヘクトールの兄で、またまた過去に悪事をはたらいていたらしい。クライスラーはふたたびミニアチュールを用いて化けの皮を剥がそうとするのだが(こういう図形や図像が呪能を発揮するのはロマン派たちのお得意の手だ)、そこへアブラハムからの手紙が届いて、侯爵夫人の霊告日の祝賀行事には宮廷に戻るようにとある。小説では、ここに編者の添え書きが続いて、ムルが死んでしまったことを告げる。
 なんとも奇怪なメタフィクショナルな進行であるが、ここでアブラハムとムルの意外な関係が急に読者にあかされる。実はアブラハムはクライスラーに霊告日に戻るように通告したのに、クライスラーは現れなかったのだ。立腹したアブラハムは魔術をつかって祝賀行事を大混乱に陥れ、その混乱がおさまった夕刻に自宅に戻る途中、橋のかたわらで溺れかかっていた子猫を見つけて連れ帰ったのだった。それがムルだった(ええーっ、それはずるいよと言いたい展開だ)。