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松岡正剛の千夜千冊・1731夜

松岡正剛の千夜千冊・1731夜
エリッヒ・ヤンツ
『自己組織化する宇宙』
 内田美恵がエリッヒ・ヤンツの論文のコピーをもってきて、「こんなおもしろい人がバークレーにいる。松岡さんにぴったりです」と言った。美恵ちゃんはアメリカ領事の娘で、工作舎が木幡和枝率いる同時通訳組織「フォーラム・インターナショナル」を引き受けたときのイニシャルメンバーである。
 さっそく「遊」に一部を紹介してみたが、やはりちゃんと翻訳して出版することにした。その途中、ぼくは工作舎を後進たちに任せて離れることになり、十川治江がその後の進行を引き受けて、充実したものに仕上げてくれた。翻訳のほうも芹沢高志君が加わって、万全なものになった。
 この本は原著が1980年の刊行ではあるが、その後の複雑系の議論からカオス理論まで、コミュニケーション仮説からサイバー生態系まで、さまざまなスコープを先取りして、総じては「創発するシステムとは何か」という今後の課題の見取図を提供してみせたスーパーマジックな大著になっている。
 こうして浮上してきたのが「メタゆらぎ」を内包した理論仮説の数々だ。まずはホワイトヘッド(995夜)の有機体論的なプロセス哲学である。また、これを継承したベルタランフィの一般システム理論やウォディントンのエピジェネティックな発生学である。さらにはプリゴジン(909夜)の熱力学的な散逸構造論、フォン・フェルスターの自己組織化論、マトゥラナとヴァレラ(1063夜)のオートポイーシス(自己創出)論である。
 ヤンツはこれらをまとめて「自己組織化理論」(self-organizing theory)という枠組で捉え、「世界は自己組織化しようとしているはずだ」とみなした。いまでは自己組織化理論は、宇宙から生命まで、脳科学から社会科学まで、たいていの本格的な議論の大前提の考え方になっているが、当時はそこを広げてみる試みはきわめて少なかった(いまでも広げていく思想はあまりない)。
 自己組織化の「自己」(self)というのは、言わずもがなだろうけれど、いわゆる自我や自分のことではない。
 自然界や現象界や生体系のさまざまなプロセスの中には、自律的な秩序や構造が生じることがいろいろあるのだが(それがおこらなければ気象も生物も脳も言語もつくれないのだが)、そのときにその現象に自発的な組織化を促している動的な支点としての自己めいたものが想定されるので、それを自己組織化のきっかけをおこす「自己」と呼んだのである。
 この「自己」は静的なときもある。それは自己集合(self-assemble)をおこすばあいで、このばあいはその集合体から何かが派生したり自律してくることはない。それに対して「動的な自己」というものがあって、この動的な自己たちが集まって関与する現象の中からは、自律的な秩序や構造がつくりだされる可能性が高い。
 しかし、最終章でヤンツが「強度」と「自治」と「意味」による複雑系を展望しようとしていることには、説得力のある可能性を感じる。そこでは確率論の新たな活用と相補性の機能の拡張とが述べられているのだが、それをいささか遠慮がちではあるが、“PEEK-A-BOO”と呼んでいるのがおもしろい。ピーカーブーとは「いない・いない・ばー」のことをいう。本当の自己組織化は「いない・いない」のうちに「ばー」っとおこる作戦なのである。