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松岡正剛の千夜千冊・1736夜

松岡正剛の千夜千冊・1736夜
多和田葉子
『献灯使』
 イワカン。違和感とも異和感とも、その気になればイ・ワカンとも岩間とも夷和観ともイワ・カーンとも綴れる。多和田葉子はドイツに住んですぐさま何かのイワカンを感じるのだが、それは日独、和洋、東西の溝から滲み出た得体の知れないものではあったものの、本人自身にはなぜか少し嬉しいものでもあって、その後の作家としての好奇心をかきたてるものだったようだ。
 『言葉と歩く日記』にこんな一節がある。編集工学屋として諸手をあげたいエクササイズのような一節だ。
 「ほぐすことのできない単語に矛盾する形容詞を付けてみると、脳の一部がほぐれる感覚がある。(中略)閉鎖的開国、国民無視の民主主義、病的健康、敗け組の勝利、窮屈な自由、できるダメ人間、年とった若者、無駄なお金のかかる節約、贅沢な貧しさ、手間のかかる即席、安物の高級品、危険な安全保障。こうして集めてみると、これは単なる遊びではなく、社会を透かし見るのに必要なレトリックだという気さえしてくる」。
 言葉遊びをしているフリをしながら、世を刺殺しているのだ。いやいや、これでもまだ遠慮しているのではないか。そうも、感じる。どうぞ多和田さん、思う存分に。





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