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松岡正剛の千夜千冊・1738夜

松岡正剛の千夜千冊・1738夜
フレデリック・ケック
『流感世界
 — パンデミックは神話か? — 』
 ウイルスが遺伝子再集合をへて変異しているのである。DNAウイルスは修復機能をもっているが、RNAウイルスには複製エラーを修正するメカニズムがないので、転移の速度や頻度が高い。それだけではなく、分節RNAウイルスは一度だけの自己複製だけれど、新型コロナウイルスが非分節RNAウイルスだとしたら(きっとこのタイプだろう)、感染をくりかえしているうちにたくさんの断片に分離され、この断片が複製のたびに交換されているということになる。これは侮れない。移動が速いし、拡散岐が多い。
 日本だけではない。パンデミック対策はいまだ世界中のガバナンスが組み立てできないでいるものだ。WHOは疫病流行の度合いを、特定地域流行のエンデミック(endemic)、集団発生型のエピデミック(epidemic)、世界的汎発のパンデミック(pandemic)に分けてはいるが、あまり深まってはいない。予測や効果の測定もできていないし、アクション・プログラムの咀嚼もできていない。
 生命とは代謝機構の発現と変異そのもののことである。地球はこの代謝機構がつながりあって巨大で複雑な代謝ネットワークを内在させている。どんな「生き死に」もこのなかで決まる。そこにはヒトだけでなく、すべての植物、すべての動物、すべての細菌、すべてのバクテリアが組みこまれている。ウイルスはこれらの隙間を高速に移動する。
 ウイルスが悪者なのではない。敵なのでもない。敵だとすれば文明に「内在する敵」だ。では何がおこっているかといえば、すべての生命体に付属して動くベクター(vector)の出入りが事態のカギを握っている。ベクターは高速の運び屋で、運んでいるのは情報である。核酸分子の姿をとって、情報の増幅・維持・導入・転移に参与する。
 何がベクターになるかは生命体によって異なるが、かつてジョシュア・レーダーバーグは『細胞遺伝子と遺伝的共生』(1952)という画期的な論文のなかで、生物種の境界をこえて受け渡されるDNA分子のことをプラスミド(plasmid)と命名して、プラスミドがベクターになるしくみを解明し、分子生物学と遺伝子工学の新たなページを開いた。
 もうひとつ言っておかなくてはならないのは、今回のパンデミックは「ズーノーシス」(zoonosis)によるものでもあったということである。ズーノーシスは「人獣共通感染症」とか「動物由来感染症」と訳されているが、ウイルス性ズーノーシスにはインフルエンザ、SARS、MERS、エボラ出血熱、マールブルグ熱、デング熱、日本脳炎などかなりの種類がある。
 ケックは1974年生まれの社会人類学者である。いまはフランスの国立科学研究センター(CNRS)の研究員をしている。レヴィ=ストロース著作集の編集に携わったり、レヴィ=ブリュールの研究などをしていたのだが、2007年から約2年にわたって香港に入り込み、鳥インフルエンザに関するエスノグラフィック(民族誌的)な調査にかかわった。
 本書はそのときの危機感迫る調査と見聞にもとづいたレポートで、やや話の文脈と事例紹介が前後しすぎるきらいはあるが、いろいろ示唆に富む。
 原題は“Un Monde Grippé”だから、直訳すれば「麻痺した世界」とか「羅患社会」などというふうになるが、邦訳タイトルは訳者の小林と編集の後藤が相談して『流感世界』にしたようだ。フランス語の“grippé”が「面倒な風邪に罹った」というニュアンスをもっているので、工夫したのだろう。
 レヴィ=ストロース(317夜)が明かしたことは、人間社会の現象は、なんらかの変換関係(rapports de transformation)によっておこっているだろうということだった。
 ケックはこのことをウイルス・パンデミックの現象分析にあてはめ、調査の手を香港から中国へ、日本へ、カンボジアへも向ける。このコースはアジア北部では制圧された弱毒性のウイルスV株が、東南アジアでは強毒性のウイルスZ株に変異していったことを追跡したいと思ったからだった。医療人類学ならまだしも、こういう社会人類学者はめずらしい。
 ケックが日本についての関心を示したのは、レヴィ=ストロースが沖縄と九州を訪れたときに「日本で神話が保っている活力」に感銘を受けたこと、および日本を含む仏教圏に漠然と広がっている「共生」の思想に注目したことにもとづいている。
 ケックは最終章にこう書いた。「インフルエンザ対ストライキ、これらは敵対する二つの階級が担う二つの神話であり、前者においてはその侵略的な本性によって、後者においては集団的努力を通して、来たるべき破局を表象する二つの異なるヴァージョンとなるのだ」と。
 同じことをレヴィ=ストロースもとっくに言っていた、「神話は死ぬのではなく、たえず変換されるのである」と。