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松岡正剛の千夜千冊・1748夜

松岡正剛の千夜千冊・1748夜

清水真砂子

『子どもの本のもつ力

- 世界と出会える60冊 -』

URL> https://1000ya.isis.ne.jp/1748.html

 瑞々しい一冊だった。長年にわたって培われてきた児童文学者としての目が透徹で聡明なところも、ル・グィンの『ゲド戦記』全6冊(岩波書店)の翻訳者として鳴らした言葉の力が滲み出ているところも、それぞれさることながら、人の生き方に掛け値なく向き合ってきた清水さんのクリーンな姿勢が子ども向けの数々の本と重なって、心を洗う「子どもの本」案内になっている。

 長じて清水さんは瀬田貞二(1918~1979)に私淑した。瀬田は児童文学作家で、草田男の俳誌「万緑」の初代編集長を担い、トールキンの『指輪物語』(評論社)などの翻訳者でもあった。晩年の石井桃子(1015夜)が「かつら文庫」を開放したのに倣って自宅に瀬田文庫をつくり、死の直前まで土曜日ごとの読み会を開いていた。『幼い子の文学』(中公新書)がいい本だった。

(1)「かわいい」がとりこぼすものとは?

 ここでは、「かわいい」や「やさしい」だけの本を選んでばかりではいけませんという著者の基本姿勢が諄々と訴えられている。①子どもたちを安易な「かわいい」で取り囲んでしまってはいけない、②子ども本は大人になっても読むべきだ、③ときどき「さびしさ」を伝える立場から本を選んだほうがいい、という姿勢だ。

 子どもには「かわいい」だけではなく、どこかで「かなしい」や「こわい」や「いたい」が必要なのだ。コレラの蔓延で死の館に置き去りになった少女の物語、バーネットの名作『秘密の花園』(福音館書店)は、ぼくも中学校で読んで痛すぎるものを感じた。ワグナー/絵ブルックスの『まっくろけの まよなかネコよ お入り』(岩波書店)は、おばあさんと犬だけが暮らしているところへ黒猫が侵入してくる話だが、人生の哀歓が黒猫の目を通して感じられてくる。

(2)ひとり居がもたらしてくれるもの

 ポーラ・フォックスの『十一歳の誕生日』(ぬぶん児童図書出版)は、母親の体に不具合があるために家の中でも足音をたてないようにしている少年ネッドが描写されているのだが、周囲からは不気味だとか幽霊みたいとか言われる。けれども、ネッドはしっかり周囲を見抜く少年になっていく。

(3)毎日は同じじゃない

 最近の小学校の読み聞かせでは、差別や残酷や攻撃的な言葉がのっている本を避けるように指示されるらしい。ノルウェーの昔話絵本『三びきのやぎのがらがらどん』(福音館書店)がたいてい槍玉にあがるという。

 瀬田貞二はこの傾向に早くから警鐘を鳴らした。『幼い子の文学』では、そんなふうになってしまうのは先生やお母さんや社会の衰弱だと指摘して、アリソン・アトリーの『グレイ・ラビットのおはなし』(岩波書店)を推薦した。

(4)「たのしい」だけで十分!

(5)子どもが“他者”と出会うとき

 ディケンズ(407夜)の『クリスマス・キャロル』のスクルージや、アンデルセン(58夜)の『マッチ売りの少女』で、子どもたちは「他者」というものの不気味さを知る。他者には善悪や是非がともなうことは、エーリヒ・ケストナーの『点子ちゃんとアントン』(岩波書店)で知る。

(6)現在(いま)と昔とこれからと

 童話や絵本には「そのこと」を何げなく告げる暗示力がある。だとすれば、ときに「そのこと」に導く技をもっている作家や著者のことを知ったほうがいい。この章では、そういう作家たちによる強い力が紹介される。

 ヴォーダン・ミショー・ネルソンの『ハーレムの闘う本屋』(あすなろ書房)は、1939年にたった5冊の本でニューヨーク・ハーレムに本屋を開き、それから35年あまりで全米トップの黒人専門書店を築きあげたルイス・ミショーの評伝である。


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大月書店> http://www.otsukishoten.co.jp/book/b453886.html