スキップしてメイン コンテンツに移動

松岡正剛の千夜千冊・1752夜

 松岡正剛の千夜千冊・1752夜

大塚英志『「おたく」の精神史

—1980年代論—』

URL> https://1000ya.isis.ne.jp/1752.html

 もっとも大塚英志のものとしてはもっと別な本を、たとえば『システムと儀式』(ちくま文庫)、『物語消費論』(新曜社→角川文庫)、『戦後まんがの表現空間』(法蔵館)、あるいは一連の民俗学をめぐる本など採り上げたほうがいいのだろうが、今夜は「おたく」ものにした。

 思想界ではどうか。前年の上野千鶴子の『セクシィ・ギャルの大研究』(カッパブックス)に続いて(続いた訳ではないだろうが)、浅田彰の『構造と力』(勁草書房)と中沢新一(979夜)の『チベットのモーツァルト』(せりか書房→講談社学術文庫)が2ヵ月ちがいで刊行され、その後のニューアカ・ブームの到来を告げた。これはふつうはポストモダン思想の流行を告げるファンファーレとみなされるのだが、本書では性や消費やマンガ表象の記号化ののちの「シミュラークルの正体」(639夜)が露呈されたものとみなされている。

 83年はまた、4月に橋田寿賀子の《おしん》がNHKの朝ドラで放映開始されて異様なほどのブームとなり、年末にはロッキード裁判の丸紅ルートの判決が下って、田中角栄に懲役四年、追徴金5億円の実刑が課せられた。ぼくも招待されたのだが、もっと押し詰まってからの年末にYMOが日本武道館で散開コンサートをした年でもあった。寺山修司(413夜)が48歳で亡くなったことも忘れられない。

 こう見てくると、83年には何かが示し合わせたように重なりあってシンクロ顕現していると感じざるをえない。大塚もたびたび断っているように、こうした「83年日本」を解明することは「おたく」の解読に直接つながることではないだろうものの、しかしこういう年次的な社会現象に突っ込んでいく見方は、やっぱり必要なのである。

 80年代には、サブカルや「おたく」に並んで喧伝された〝流行語〟がもうひとつあった。「新人類」だ。コロナ・パンデミックが地球大の猛威をふるい、地質人類学では新たに「人新世」(アントロポーセン)なる強力な用語が提案されて21世紀の思想界を覆いつつあるなか、いまさら「新人類」がなお市民権をもつとはとうてい思えないが、日本の80年代を議論するなら欠かせない。

 やがて日本はバブル文化に浸るようになって、「おたく」も「キャラ萌え」も片隅に追いやられ、そのくせ消費市場のほうでは以上の同床異夢あるいは異床同夢ことごとく取りこんで〝商品化〟していった。いま日本中に揺動しているユーチューバーの自撮り映像や「ゆるキャラ」やおびただしいライトノベル群は、その残像である。

 本書は、いまでは日本の昭和平成精神史の語り方の、一方を代表するものになったといえるだろう。かつては坂口安吾(873夜)や桶谷秀昭(448夜)が綴った昭和精神史は、その後の時代精神の書き手を左翼や経済史家や福田和也に譲ってきたのだが、大塚によって新たな視座をもったのだ。

 もう一方を代表するものは、加藤典洋(1142夜)や島田雅彦(1376夜)や鈴木邦男(1151夜)だろう。けれども、これらと大塚のものとは、いまのところ交差していない。それを試みるのはもはや「おたく」でも「反左翼」でもない新たなマルチチュード(89夜)なのだろうと思う。