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松岡正剛の千夜千冊・1769夜

松岡正剛の千夜千冊・1769夜

デヴィッド・ルイス=ウィリアムズ

『洞窟のなかの心』

URL> https://1000ya.isis.ne.jp/1769.html

… ぼくはこの一枚を見ていると、先史人類がのこした痕跡から人類史のミッシング・リンクを読み出そうとしている洞窟派たちの「信念の連鎖」が切々と伝わってきて、胸にこみあげてくるものがあるのだ。

 LSA(後期旧石器時代)の人類には芸術的な創造心などなかったろうという通念をみずから反省したのは、アルタミラの洞窟画を調べたエミール・カルタイヤックの『懐疑論者の懴悔』(1902)だった。学者が反省を公表するのは勇気のいることだろうが、こういう懴悔をやってのけたのは先史文化研究にとって大きい。

 チャールズ・タートが名付けたアルタード・ステート(altered state of consciousness:ASC)については、まだ十分な議論が出尽くしていないのだが、トランス状態に入らないまま、あるいは薬物の活用に依存しないままに、日常意識から連続的に変性意識に移っていくことがありうるとされている意識状態のことだ。

 ジョン・C・リリー(207夜『意識の中心』)がアイソレーション・タンクの実験などを通してその可能性を提言した。ユング(830夜)が提唱した「トランスパーソナル」の概念をマズローらとともに発展させたスタニスラフ・グロフもこのことに取り組んだ。グロフはLSDを使用した脳科学の臨床を通して、アルタード・ステートの変化を記録しようとした。

 そうだとしたら、LSA人類がこのあとクロマニヨン人をへてホモ・サピエンスに向かっていったとき、アルタード・ステートの体験とその表象化こそが、サピエンスの脳に超越意識と尋常状態意識とのあいだの、つまりは「神と人とのあいだ」の、わかりやすくいえば「世界と人間とのあいだ」の、たいへん根本的な認知モデルを提供していただろうということにもなるのだが、そこはまだ説明できていない。

 しかし著者はこの一連のことが実際におこっていたことであったとしたら、そこには人類における「自閉的な意識」の誕生も促されていたはずで、このことがのちのホモ・サピエンスにおける自意識の閉塞感をもたらしたのではないかとも付言した。ぼくはこの見方は当たっているだろうと思えた。

 かくて本書は第8章「心のなかの洞窟」で、われわれは洞窟の中で「心性」を形成したとともに、心の中に洞窟めいたものをつくりおきしたのではないかと示唆して、プラトン(799夜)の『国家』における「洞窟の比喩」を持ち出すのである。

 また、こうも書いている。‥‥意識変容状態は、たんに階層化された宇宙の観念を生み出すだけではない。それはこの宇宙のさまざまな区域へのアクセスを可能にし、それによってこうした区分の妥当性を追認することだったのである。