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松岡正剛の千夜千冊・1628夜

松岡正剛の千夜千冊・1628夜 梅棹忠夫 『行為と妄想  〜わたしの履歴書〜 』 URL> https://1000ya.isis.ne.jp/1628.html 〜  文明と文化の違いは必ずしもわかりやすくはない。語彙的にはラテン語のcolereという動詞から派生したcultureが「文化」の語源になっているのだが、colereは「何かを育てる」とか「何かの世話をする」という意味だ。  ということは、カルチャーは土地に向かえば栽培や耕作となり、子供に向かえば養育となり、心に向かえば教養になるものなのである。日本語の感覚ではおそらく「世話をする」が一番近いと、ぼくは見ている。 〜  一つ。千夜千冊に『文明の生態史観』(中公文庫)をとりあげたいと思ったのはずっと前からのことだった。この本は名著だ。妙な魅力のある直観的な名著なのである。 〜 こうした梅棹の探検歴は今西錦司( 636夜 )ゆずりのもので、若いときから今西流にとことん鍛えられたので、アタックの「方面」の選定も豊富だ。生態学的山登りなのである。 〜 この数年、ぼくにも国の仕事のリーダーシップを頼まれるということが多くなってきたのだが、しかし、そういう仕事は当初はかなり漠然としていて、担当者もおぼつかないことが多い。またバジェットを含めて支え棒がはっきりしていないことが多い。 〜  梅棹はこんなところに逡巡しない。出会った接点と人物とを、ほぼすべてつなげて、仕事をつくっていく。これで厄介が消えていく。梅棹は初動においてすでにしてリアルタイム・リバースエンジニアリングをおこしつづけたのである。 〜

松岡正剛の千夜千冊・1300夜

松岡正剛の千夜千冊・1300夜 梵漢和対照・現代語訳 『法華経|上・下』 URL> https://1000ya.isis.ne.jp/1300.html 〜 法華経はいま、社会の前面には躍り出ていない。 にもかかわらず、なぜ法華経には魅力があるのか。 なぜここには魔力が棲んでいるのか。 その生い立ち、その組み立て、そのメタファーの一端を、 ごく少々ながら覗いてみたい。 〜 法華は仏の真如なり 万法無二の旨(むね)を述べ 一乗妙法聞く人の 仏に成らぬはなかりけり 〜 ぼくが「聖者はオートバイに乗ってやってくる」と言ったら、ちょっと間をおいて津島秀彦が「うん、松岡さん、それなら法華経に速度を与えよう」と応えた。ついでに「釈迦とマッハをつなげたいね」とも加えた。なんと鮮烈なことをズバリと言うものかと驚いた。 〜  それにしても、生体量子力学と法華経を一緒に語るだなんて、そんな無謀なことを平気で言うような科学者や仏教学者は、そのころまったくいなかった。  たとえば、松下真一が『法華経と原子物理学』(光文社)を書いたのは1979年で、その前にわずかにフリッチョフ・カプラが『タオ自然学』(工作舎)で華厳経とタオイズムと量子物理学を交差させているのが目立っていた程度だった。津島さんはそういう“流行”の先頭さえ走っていた。 〜 法華経このたび弘めむと 仏に申せど聴(ゆる)されず 地より出てたる菩薩達 その数 六萬恒沙(ろくまんごうしゃ)なり 〜