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松岡正剛の千夜千冊・1300夜

松岡正剛の千夜千冊・1300夜
梵漢和対照・現代語訳
『法華経|上・下』
法華経はいま、社会の前面には躍り出ていない。
にもかかわらず、なぜ法華経には魅力があるのか。
なぜここには魔力が棲んでいるのか。
その生い立ち、その組み立て、そのメタファーの一端を、
ごく少々ながら覗いてみたい。
法華は仏の真如なり 万法無二の旨(むね)を述べ
一乗妙法聞く人の 仏に成らぬはなかりけり
ぼくが「聖者はオートバイに乗ってやってくる」と言ったら、ちょっと間をおいて津島秀彦が「うん、松岡さん、それなら法華経に速度を与えよう」と応えた。ついでに「釈迦とマッハをつなげたいね」とも加えた。なんと鮮烈なことをズバリと言うものかと驚いた。
 それにしても、生体量子力学と法華経を一緒に語るだなんて、そんな無謀なことを平気で言うような科学者や仏教学者は、そのころまったくいなかった。
 たとえば、松下真一が『法華経と原子物理学』(光文社)を書いたのは1979年で、その前にわずかにフリッチョフ・カプラが『タオ自然学』(工作舎)で華厳経とタオイズムと量子物理学を交差させているのが目立っていた程度だった。津島さんはそういう“流行”の先頭さえ走っていた。
法華経このたび弘めむと 仏に申せど聴(ゆる)されず
地より出てたる菩薩達 その数 六萬恒沙(ろくまんごうしゃ)なり