松岡正剛の千夜千冊・1628夜
梅棹忠夫
『行為と妄想 〜わたしの履歴書〜 』
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文明と文化の違いは必ずしもわかりやすくはない。語彙的にはラテン語のcolereという動詞から派生したcultureが「文化」の語源になっているのだが、colereは「何かを育てる」とか「何かの世話をする」という意味だ。
ということは、カルチャーは土地に向かえば栽培や耕作となり、子供に向かえば養育となり、心に向かえば教養になるものなのである。日本語の感覚ではおそらく「世話をする」が一番近いと、ぼくは見ている。
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一つ。千夜千冊に『文明の生態史観』(中公文庫)をとりあげたいと思ったのはずっと前からのことだった。この本は名著だ。妙な魅力のある直観的な名著なのである。
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こうした梅棹の探検歴は今西錦司(636夜)ゆずりのもので、若いときから今西流にとことん鍛えられたので、アタックの「方面」の選定も豊富だ。生態学的山登りなのである。
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この数年、ぼくにも国の仕事のリーダーシップを頼まれるということが多くなってきたのだが、しかし、そういう仕事は当初はかなり漠然としていて、担当者もおぼつかないことが多い。またバジェットを含めて支え棒がはっきりしていないことが多い。
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梅棹はこんなところに逡巡しない。出会った接点と人物とを、ほぼすべてつなげて、仕事をつくっていく。これで厄介が消えていく。梅棹は初動においてすでにしてリアルタイム・リバースエンジニアリングをおこしつづけたのである。
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