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松岡正剛の千夜千冊・1852夜・絶筆編

松岡正剛の千夜千冊・1852夜・絶筆編 2025/06/02 中島秀之『知能の物語』 URL>  https://1000ya.isis.ne.jp/1852.html 〜  「物語」と銘打ったのは、これが教科書ではないこと、人工知能の歴史の物語に因んでいること、言語はパターンよりも物語力をもっているのでそういう言語の力に寄り添って知能の物語に接近したかったこと、この3つの理由によっているのだと言う。  ぼくはこういう人の告白的文章が大好きで、以前ならインド哲学の松山俊太郎さんや中国文学の草森紳一( 1486夜 )さんが、そうだった。… 。けれどもそのぶん本人の洞察は冴えてくる。  正直いって、こういう文章は読みやすくはない。しかし、一見抜け目のないように設えられた学術論文なんて、レフェリングの網をくぐるために書くようで、そんなものをリアルタイムに読まされるのはつまらない。いずれ大きくまとまるか、それなりに陶冶されたところで読めばいい。それよりも、語るように、綴るように、思索が一所不在を彷徨しているようなものこそ、実はプラトン( 799夜 )やモンテーニュ( 886夜 )や荻生徂徠( 1706夜 )やシオラン( 1480夜 )やレヴィナスがそうだったように、歴史的脈動を伝えてくれるものなのだ。 … 〜
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関連本:白砂糖の害は恐ろしい

『白砂糖の害は恐ろしい』 著者:甲田光雄、発行所:人間医学社 目   次 序 〜昭和47年1月15日 元阪大医学部衛生学教授 丸山博〜 【リンク】 https://note.com/200im/n/n368530d4a60d PDF> https://drive.google.com/open?id=0B_6it8GYsEViYlV4Q3hpU2xnOHM ニュース:砂糖 URL> https://newsindex1.blogspot.jp/search/label/砂糖 関連本:白砂糖の害は恐ろしい

松岡正剛の千夜千冊・1816夜 マイケル・トマセロ『心とことばの起源を探る』

松岡正剛の千夜千冊・1816夜  マイケル・トマセロ『心とことばの起源を探る( 文化と認知 )  』 URL> https://1000ya.isis.ne.jp/1816.html 〜  一口に集約していえば、トマセロは「9カ月革命」と「ジョイント・アテンション」に注目した。9カ月革命というのは、生後9カ月から12カ月の時期に、赤ちゃんが劇的に変化することを強調したもので、ジョイント・アテンション(joint attention)は幼児は生後9ヶ月あたりから「共同注意」をしはじめているということを示す。 〜  トマセロは(おそらくヴィゴツキーもそう感じたにちがいないのだが)、これは乳幼児の「社会にめざめた時期」が意外に早いというのではなく、むしろ「超社会から入ってきている」(大人がつくった社会ではない「超社会」をスキーマにしている)にちがいないと推断した。もちろん、そうに決まっている。赤ちゃんは“大人”と異なる認知プランナーなのである。 〜 【図の説明文】   乳児の発達は「注意の追従(指差し理解、視線の後追い)」から「行動の追従(動作模倣、提示・手渡し)」、「注意の操作(指差し算出)」と進む。これは9ヶ月~12ヶ月の間に出現し、発達段階として急激に向上することから”共同注意の崖”(9ヶ月革命)と呼ばれた。 〜    書斎はほぼ本ばかりで埋まっているが、よく見れば色のついた箱やらビリケン人形やら寺社の護符やらが本棚にくっついている。ジャンクフードの袋も机上の大きな茶碗などもある。YUTOはそれらをあっというまに察知しながら、ぼくの大きな椅子にニコニコしながら近づいてくる。そして「ひげしゃん」と声を出し、小さな手を動かす。「ひげしゃん」は「髭のおじいさん」のことだ。 〜 【写真の説明文】 「ひげしゃん!」と、イシス館の階段壁面に貼られていた写真にうつる松岡をジョイント・アテンションしているYUTO。 〜 【写真の説明文】 乳児が「『何か』を見ている他者」を見ながら「何か」を見る。この「他者のノリが転移する場」こそがZPDだ。上の写真は他者の視線や指差しを理解し,その注視対象に注意を向ける「応答的共同注意」。下は自らの行動によって他者の注意を引き付け,他者を乳児自身の注視対象へと巻き込む「始発的共同注意」。 〜 【...

松岡正剛の千夜千冊・1810夜 木内堯央 『最澄と天台教団』

 松岡正剛の千夜千冊・1810夜 木内堯央 『最澄と天台教団』 URL> https://1000ya.isis.ne.jp/1810.html 〜   奈良博の《久隔帖(きゅうかくじょう)》を今井凌雪さんと見た。NHKの書道講座をお手伝いしていたころだ。尺牘(せきとく)は「久隔清音 馳恋無極傳承 安和且慰下情」と始まる。  いつものことながら、すぐに「恋無極」の字配りに目が吸い込まれていく。王羲之(おおぎし)の《集字聖教序》が見せる勁(つよ)いけれども懐ろが柔らかい間架結構が、最澄の書では端正なストロークやピッチに転じて律義になっている。そんな感想を呟くと、今井さんは「いやあ、伝教大師の書は王羲之より誠実ですよ。懸命ですよ」とボソッと洩した。 〜  空海から最澄に宛てた尺牘のほうは《風信帖(ふうしんじょう)》として、これまた世に名高い。3通ある。ぼくも昔は少々ながら臨模した。  弘仁3年(812)、最澄は空海に天台智顗(ちぎ)の『摩訶止観』を送り、そのとき添えた手紙に比叡の堂宇に遊びにきてくださいと書いたのだが(この尺牘は残っていない)、空海は丁寧に『摩訶止観』のお礼を述べ、いまそちら(一乗止観院=比叡山寺、のちの延暦寺)には都合が悪くて伺えないけれど、近いうち互いに仏道の根本を語りあって仏恩に報いたいものですと返信した。これが《風信帖》の1通目で、このときの空海の書は「風」や「恵」の字が王羲之の《蘭亭序》そっくりで、そこに運筆の速さを感じさせる。  2通目は最澄がお香などを送ったことへの返礼である。最近は忙しいけれど法要がおわったら、あなたの送ってきた左衛士(さえじ)の督(かみ)の手紙を読みますというもの、書風は覇気に充ちている。3通目は空海から最澄にお香などを送ったこと、『仁王経』を借りたいというお申し越しについては、いまは別用で使っているので後日お貸ししましょうということなどを綴る。こちらは鮮やかな草体を見せている。  最澄の律義と一途、それに対する空海の応接の翩翻。二人の書風はどちらも王羲之を手本としていながらも、まったく異なっている。最澄が端正で律義な書であるのにくらべると、空海はそのつど変化変容する。この対照ぶりに、平安仏教以降の動向を決してみせた二人のすべてがあらわれている。 〜  最澄にはどうしても生前に成就したかったことが...

週刊金曜日・1374号

  週刊金曜日・4月22日 (1374)号 https://www.kinyobi.co.jp/tokushu/003437.php 〜 【提携連載企画】 公害『PFOA』15  大阪・摂津の汚染除去を拒むダイキン 〜 【参考】ニュース屋体村 『「フライパンが危ない」ダイキン対Tansa』 https://www.newsyataimura.com/yamada-76/ 【映画】 映画『ダーク・ウォーターズ  巨大企業が恐れた男』 https://moviesindex1.blogspot.com/2022/03/blog-post.html