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松岡正剛の千夜千冊・830夜

松岡正剛の千夜千冊・830夜
カール・グスタフ・ユング
『心理学と錬金術』
 ずっと以前のこと、「フロイトとユングの心理学の違いって何ですか」と何かの会で読者から聞かれたことがある。「うーん、そうねえ。ハリウッドの映画 ( 297夜 ) でね、カウンセラーが患者を長椅子に寝かせていたらフロイト派 ( 302夜 ) 、患者と椅子を向き合わせて腰掛けながら話していたらユング派かな」と答えたことがあった。
 質問者は不満そうだった。その後、このだいそれた冗談を、これも何かの会のおりに河合隼雄 ( 141夜 ) さんに言ってみたら、このユング派の領袖は「松岡さん、そりゃ御名答だねえ」と大笑いした。
 フロイトの著書に最も影響をうけたのがユングである。二人はすぐさま文通を始め、ユングがフロイトに会うためにウィーンに行ったときは、玄関で顔を会わした瞬間から旧知の間柄のように13時間も話しこんだ。二人をここまで結び付けたのは人間の心の奥に動く「無意識」 ( 783夜 ) の存在である。
 したがってユングという一個の人間像はそれ自体が精神医学の偉大な対象ともいうべきで、それはそれでたいへん興味深いのだが、それ以上に興味がそそられるのは(それ以上に大事なのは)、ユングが「集合的無意識」 ( 805夜 ) や「元型」(アーキタイプ)といったコンセプトにもとづいて、「変容」のプロセスに分け入ったことである。またまたフロイトとユングの比較でいえば、症例の定位的な解釈の“深化”に才能を発揮したフロイトにくらべて、ユングはつねに症例そのものの解釈の“変化”に目を向けたのだ。
 たとえばわかりやすいところでは、男にひそむアニマ(男性の中の女性性)と女にひそむアニムス(女性の中の男性性)の変容である。 ( 763夜
考察のすえにユングが得た構図は、錬金術のみならずいっさいの神秘主義というものが、実は「対立しあうものの結合」 ( 742夜 ) をめざしていること、そこに登場する物質と物質の変化のすべてはほとんど心の変容のプロセスのアレゴリーであること、また、そこにはたいてい「アニマとアニムスの対比と統合」が暗示されているということである。