松岡正剛の千夜千冊・1130夜
高谷好一
『多文明共存時代の農業』
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ところが20世紀はすべてが経済の時代になった ( 151夜 )。それでもあの奇形の経済的暴走がはじまるまでは、日本人の8割は農村にいた。そこに農村共同体というみごとな社会をつくり、そのスピード、その経済文化、その食生活、その衣料感覚で生活をしていた。その中心には必ず農民がいた。
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高谷さんが異を唱えた普遍主義とは、資本主義経済システムが世界システムのモデルだという考え方のことをいう。たいてい科学や合理の仮面をかぶっている。エマニュエル・ウォーラスティーンの「近代世界システム論」などがその代表的な見解のひとつだが、アメリカという国家自体もそうした普遍主義を自国の安定のためのロジックにつかう。( 1047夜 )
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徳川社会 ( 1090夜 ) の農業の中心は稲作である。収量をふやすため井堰をつくり、水路を掘削し、深耕と堆肥をつくった。稲作の安定によってコメの反当収量が確保されて農地に余裕が出てくると、幕府や藩は各種の外来作物を導入した。それまでの日本は麻が中心になっていたため、冬の寒さが厳しかったのだが、そこに綿花栽培がはじまり、保湿性の高い木綿が普及することになった。柳田国男が『木綿といふ事』で詳しくしるした通りだ
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このようになってはいない共同体は世界中にいくつもある。しかし、それらを比較し整理していくと、高谷さんのいうアジア的な世界単位の母型はそんなに多様ではないことがわかる。絞れば、①生態適応型の世界単位、②ネットワーク型の世界単位、③大文明型の世界単位になる。①は東南アジア文明の山地やジャワ文明やかつての日本文明の農村部にある。②は海の民や草の民がつくっている ( 1016夜 )。③は中国やインドの社稷共同体やカースト制度のなかにある。
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