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松岡正剛の千夜千冊・1611夜

松岡正剛の千夜千冊・1611夜 野中昌法 『農と言える日本人 福島発・農業の復興へ』 URL> https://1000ya.isis.ne.jp/1611.html 〜 高村光太郎はこう書いていた、「食うものだけは自給したい。個人でも、国家でも、これなくして真の独立はない」。 〜 本書には農事と救済をめぐる活動がいろいろ紹介されているのだが、そのなかから「農と言える日本人」ならではの発見や着眼がいくつも報告されている。  たとえば「耕作することでセシウムの空間線量率が下がっていく」「落ち葉を食べるミミズにはセシウムがかなり濃縮される」「表面剥ぎ取りは土壌侵害をおこして水系の二次汚染をすすめる」「牧草の汚染は地上部に集中して根には至っていない」といったことは、ぼくのような素人から見ても画期的な観察結果なのではないかと思われた。著者の活動と研究は「農による知の統合」なのである。 〜

松岡正剛の千夜千冊・1130夜

松岡正剛の千夜千冊・1130夜 高谷好一 『多文明共存時代の農業』 URL> https://1000ya.isis.ne.jp/1130.html 〜  ところが20世紀はすべてが経済の時代になった ( 151夜 )。それでもあの奇形の経済的暴走がはじまるまでは、日本人の8割は農村にいた。そこに農村共同体というみごとな社会をつくり、そのスピード、その経済文化、その食生活、その衣料感覚で生活をしていた。その中心には必ず農民がいた。 〜  高谷さんが異を唱えた普遍主義とは、資本主義経済システムが世界システムのモデルだという考え方のことをいう。たいてい科学や合理の仮面をかぶっている。エマニュエル・ウォーラスティーンの「近代世界システム論」などがその代表的な見解のひとつだが、アメリカという国家自体もそうした普遍主義を自国の安定のためのロジックにつかう。( 1047夜 ) 〜  徳川社会 ( 1090夜 ) の農業の中心は稲作である。収量をふやすため井堰をつくり、水路を掘削し、深耕と堆肥をつくった。稲作の安定によってコメの反当収量が確保されて農地に余裕が出てくると、幕府や藩は各種の外来作物を導入した。それまでの日本は麻が中心になっていたため、冬の寒さが厳しかったのだが、そこに綿花栽培がはじまり、保湿性の高い木綿が普及することになった。柳田国男が『木綿といふ事』で詳しくしるした通りだ 〜  このようになってはいない共同体は世界中にいくつもある。しかし、それらを比較し整理していくと、高谷さんのいうアジア的な世界単位の母型はそんなに多様ではないことがわかる。絞れば、①生態適応型の世界単位、②ネットワーク型の世界単位、③大文明型の世界単位になる。①は東南アジア文明の山地やジャワ文明やかつての日本文明の農村部にある。②は海の民や草の民がつくっている ( 1016夜 )。③は中国やインドの社稷共同体やカースト制度のなかにある。 〜

松岡正剛の千夜千冊・374夜

松岡正剛の千夜千冊・374夜 田中佳宏 『百姓の一筆』 URL> https://1000ya.isis.ne.jp/0374.html 〜  一町八反、天下御免の百姓一匹、世の頓珍漢に、一筆参上つかまつる。まさにそういう気概が伝わってくる。 〜  また、新農業思想とでもいうべきを著述した本も何冊か読んできた。岐阜で直耕をしている中島正の『みの虫革命・独立農民の書』など、なかなか読ませた。「都市を滅ぼせ」というのである。山下惣一の『土と日本人』も考えさせられたし、福岡正信の本は第1冊目から読んでいる。 〜  その根底には「日本はコメの国である」( 1130夜 ) というまことに大きな前提もある。  それはその通りだ。ぼくもかなりのコメ派だ。  〜  ちなみに、そういう著者がどんな農事にかかわっているかというと、作付け面積は一町八反である。東京ドームをこえる。そのうちヤマトイモが一町四反、ゴボウ二反、サトイモ一反、モロヘイヤ一反。そのほか自家用の作物が少々ある。これで1984、5年の年間収入が600万円くらいになる。そこから機械費や肥料費や厚生費などを引くと、残りが88万円。働き手は著者と母と妻。昔のどんな年貢よりも割りは悪い。 〜  自然なるもののすべてはおどけたる    恰好をしてほれそこにある 〜