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松岡正剛の千夜千冊・1406夜

松岡正剛の千夜千冊・1406夜
新潟日報社特別取材班
『原発と地震』
— 柏崎刈羽「震度7」の警告 —
 とりわけ、被災者たちが巻きこまれた惨状と悪夢は、想像力をはるかに超える。その一方で、コンビニやスーパーからは乾電池、水、おにぎり、パン、トイレットペーパーが消え、電力とガソリンが悲鳴をあげ、為替が急変して、1ドルが80円を切り、株価が乱高下を始めた。
 そもそも原発は放射性物質(核分裂生成物)が勝手に出てこないために、基本的には3つのバリアーで守られているはずだった。
 第1のバリアーはペレットで、核分裂生成物を0・2ミクロンほどの酸化ウランの粉末に圧縮し、ペレット状に固めてある。これが破れたばあいも、第2のバリアーの燃料被覆管という金属管がペレットを密封している。金属管はペレットを詰めている燃料棒で、ジルコニウム合金でできている。
 しかしペレットそのものが熱伝導が悪いため、この金属管は外側が500度でも中心部は1500度になり、わずか5ミリの差で法外な温度差が生じる。そのため異常がおこるとまずペレットが縮み、核分裂生成物ができてこれが膨れ、ひび割れになることがある。これらのバリアーが破れると、放射性物質は原子炉の中を通る冷却水の中に出てきてしまう。
 そこで第3のバリアーとしてこの冷却水を封じこめる圧力装置が用意されている。しかしこれも破損すれば、冷却力が失われ空焚き状態になる(今回はこれを補うために海水が導入されてきた)。
 これが3つのバリアーだ。外側からいえば、コンクリート建屋、分厚い原子炉格納容器、頑丈なはずの圧力装置、燃料棒、ペレット、という順に安全弁があるというふうになる。そして、これらすべてが破砕か損傷すれば、万事が休していわゆるメルトダウンがおこる。
 日本の原発はアイゼンハウアー提案の翌年、突然に原子炉に関する基礎研究調査費が提案され、衆議院で予算が通過したときから始まった。これを強引に進めたのが中曽根康弘である。
 あとは日米原子力協定で濃縮ウラン受け入れが決定し、総理府内に原子力局がおかれ、科学技術庁が発足すると同時に、読売・日テレのドン・正力松太郎が原子力委員長に就任して、イギリスから黒鉛減速炭酸ガス冷却炉を導入した。このとき湯川秀樹(828夜)はその強引ぶりに嫌気がさして原子力委員を辞任した。
 本書は、原発と地震の関係を最も深く抉(えぐ)ったドキュメントである。ぼくはこの手の本をいろいろさがしてみたが、広瀬隆の『原子炉時限爆弾』(ダイヤモンド社)などを除いて、ぴったりの類書はなかった。広瀬の本は「大地震におびえる日本列島」というサブタイトルがつく。
 事件はまだ3年半前のことである。
 中越沖地震とともに柏崎刈羽原発の7基すべての原子炉が緊急停止し、3号機の変圧器が火災をおこし、7号機からは放射性物質が漏れたのだ。制御棒も脱落事故をおこしていた。“想定外”の震度7の激震だった。
 やがて、この原発が活断層の上に立地していたことが判明した。けれども実は、それまでこのことがいっさい隠されてきたことがわかってきた。なぜそんなふうになっていたのか。新潟日報の特別取材チームはこの謎を追いかけ、事件後すぐの8月16日から1年間にわたる特別連載「揺らぐ安全神話・柏崎刈羽原発」を組み上げていった。
 この連載は総力的だった。日本ジャーナリスト会議JCJ賞と日本新聞協会編集部門賞をみごとに受賞した。しかしながら、それが本となり、2009年1月の刊行となった『原発と地震』が、ではこれまでそれなりに読まれてきた気配があるかといえば、新潟北陸地方はいざ知らず、少なくとも関東や東北では、なかったように思う。東京の書店員たちに聞いてみても、この本のこと、ほとんど知らないままだった。