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松岡正剛の千夜千冊・1409夜

松岡正剛の千夜千冊・1409夜
鷲田清一
『<弱さ>のちから』
— ホスピタブルな光景 —
大被災した日本。棄損した東北。引き裂かれた家族。
もどかしい声援。断線した心。
3・11におこったのは、
地震と津波と原発事故だけではなかった。
砕かれた母国を前に、われわれの中にひそむ
「挫けそうなもの」が露出した。
そしてあるときから、「自身の端緒が更新されていく哲学」は、ひょっとすると自分自身の中の強い規準にあるのではなく、むしろそれを崩すもの、自分から見えない「弱い方」からやってくるのではないかと思うようになっていった。本書にも、その丹念な模索がしたためられている。
 ぼくについては『フラジャイル』が引用されていて、弱さ、脆さ、傷つきやすさに共有されるものの重要性にふれ、「弱さは強さの欠如ではない」ということ、「おほつかなさ」の重要性などが引き出されていた。すでにパスカル(762夜)が言っていたことであるが、フラジャイルな哲学では、強さを求めることは自由よりも束縛をもたらすことが多く、むしろ弱いものに従うことが自由なのである。
 だとすれば、復興計画だけではまちがいなのである。この際は「母国」というもののマザープログラムに着手することこそ要請されるのだ。しかしそのプログラムは、実に数百年をさかのぼっての取り組みにならなければならないはずである。