松岡正剛の千夜千冊・1623夜
別府輝彦
『見えない巨人―微生物』
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窒素のほうは炭素とは逆に、地殻の中での無機窒素化合物になっている量は少なく、大部分が大気中で分子状の窒素のままにある。その含量は78パーセントに及ぶ。
この分子状窒素は化学的に不活性なので、それを生物たちが利用するには硝酸塩やアンモニアに変換する必要があるのだが、変換プロセスは容易にはおこらない。そこで活躍するのが、このところぼくがお気にいりのニトロゲナーゼなのである(1622夜参照)。ニトロゲナーゼという酵素をもつ微生物がアンモニア還元をもたらしていく。
微生物によって大気からアンモニアに固定された窒素を大気に戻すにも、微生物の関与が必要だ。まずアンモニアが硝化細菌によって硝酸塩に酸化され、この硝酸が別の細菌によってもう一度還元されるとき、アンモニアまで戻らずに途中で分子状の窒素となって大気に飛散するというプロセスをとる。
このように地球の窒素循環も、ほとんど微生物に頼りきっているわけである
ところが20世紀になってハーバー・ボッシュ法という空中窒素固定の技術が工業化されると、合成アンモニアが大量に登場することになった。
合成アンモニアは初めは戦争用の火薬の原料になる硝酸の製造に使われていたのだが、世紀末に向かってはその大半が窒素肥料に化けて、全部地球の土地という土地に撒かれていった。
窒素肥料が合成できるようになったのは、地球史的にも文明史的にもきわめて大きな変動をもたらした。これで地球上の微生物による窒素固定量の半分に迫る窒素が出回り、これが脱窒素菌の能力では還元できないほどになったのである。
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生物はエネルギーを得るためには代謝活動をする。代謝なき生命はない。
その基本的な代謝には「光合成、呼吸、発酵」の3つの方法がある。このうち呼吸と発酵は有機物を酸化させ、そのときに遊離されるエネルギーでATPを合成する。
この呼吸と発酵の酸化プロセスには副産物の水素が生じる。排出した水素を有機物にわたせば発酵になり、酸素にわたせば好気呼吸になり、無機物にわたせば嫌気呼吸になる。原理は呼吸も発酵も同じなのである。
ではどこで呼吸と発酵が分かれるかといえば、酸素のある条件では呼吸によってブドウ糖を炭酸ガスと水に完全に酸化できるのが、酸素が内情権ではアルコール発酵によってブドウ糖が不完全に酸化されてエタノールと炭酸ガスを生成するところだ。
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人類は発酵によってさまざまな「おいしいもの」や「味わうもの」や「快感にひたるもの」をつくっていった。おそらく最初は酒の醸造だった。12000年前のエジプトや7000年前のメソポタミアにはビールやワインの醸造痕跡がのこっている。
ビールやワインや日本酒は微生物による発酵がつくりだしたものである。ビールは大麦を発芽させた麦芽をもとに発芽時に大麦自身がつくりだすアミラーゼがはたらいて糖化をおこしたもので、ワインは収穫したブドウが自然発酵するのを待って、そののち乳酸菌によってリンゴ酸を乳酸に変えて酸味を下げるという発酵(クロラクティック発酵)を加えたものである。
発酵と文明の関係はそうとうに充実している。「文明とは発酵のことだった」と言いたいほどだ。
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成熟度を感知させる性フェロモン、餌のありかを通知する道標フェロモン、交尾や越冬を知らせる集合フェロモン、外的の情報を仲間に知らせる警報フェロミンなどのリリーサーフェロモンと、受容した個体の内分泌系に影響を与えるプライマーフェロモンが知られる。
一部の真性細菌にも、自分と同種の菌の生息密度を感知できる機構があることがわかってきた。集合フェロモンやプライマーフェロモンのようではあるが、機構と効能が違っている。これがクオラム(quorum)だ。
クオラムとはラテン語で「議決に必要な定足数」のことをいう。細菌にはそのクオラムが相手細菌をセンシング(検知)して、自分を含めた細菌数が一定数を越えたときに特定の物質が産生する能力があったのである。
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この細菌は菌数が少ないときはAHLを拡散させるので、スイッチはONにならない。菌が増殖して細胞密度が上がっていくと、その濃度とともにスイッチが入って。ルシフェラーゼをつくる。これがイカやホタルイカが発光するしくみになっていた。
クオラムが作動するかどうかは、濃度や周辺環境による。それによってクオラム物質(クオルモン)が出るか出ないかが決まる。そこが議決数によって決まっているようなのである。ぼくは大いに唸ってしまった。
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