松岡正剛の千夜千冊・1687夜
中島春紫
『日本の伝統 発酵の科学
- 微生物が生み出す「旨さ」の秘密 -
』
〜
日本の国花はサクラ、国鳥はキジ、国魚は錦鯉、国蝶はオオムラサキ、意外かもしれないが、国草は大麻である。古来、神々の幣(みてぐら)の印として貴重視されてきた。日本の大麻は幻覚成分のTHCが少なく、吸引はされなかった。
実はコッキン、国菌もある。国の菌だ。何が国菌だか、おわかりか。麹菌(こうじきん)なのだ。2006年に認定された。麹菌は日本を代表するカビなのである。醤油・味噌・日本酒(清酒)・味醂(みりん)は麹菌でつくる。
〜
発酵(fermentation)は微生物のはたらきによっている。科学的には「微生物が有機物を嫌気的に分解してエネルギーを得るプロセス」が発酵である。有機物とは炭素を含む化合物のこと、嫌気的とは酸素を使わないことをいう。(1615夜)
つまりは、酸素を使わずに炭水化物などの有機物を分解してエネルギーを生み出しているプロセスの全体が「発酵」だ。酸素を使って有機物を分解するほうは「呼吸」という。
炭水化物やタンパク質などの有機物を酸化するとエネルギーを得ることができる。最もよく知られている酸化反応は燃焼(859夜)である。
〜
こうした発酵を促進する微生物には、大きく2種類がある。好気性菌と嫌気性菌だ。酸素を好む好気性菌には食酢をつくる酢酸菌、味噌・醤油の醸造する麹菌、納豆をつくる納豆菌などが、酸化が苦手な嫌気性菌には乳酸発酵をする乳酸菌、アルコール発酵をおこす酵母などがある。
〜
微生物は発酵もおこすが、腐敗もおこす。発酵と腐敗という二つの現象は紙一重なのだ。実際にもフランスのリヴァロなどのチーズや近江の鮒鮨(ふなずし)などは、腐っているような匂いがする。ところが、食べてみるとおいしい。「発酵と腐敗を区別するのは、科学(476夜)ではなく文化である」という言葉は、発酵科学の第一人者である小泉武夫の至言だった。
腐敗は雑菌(腐敗菌)の繁殖(1562夜)による。だから食品が腐らないようにするには、雑菌が繁殖しないようにすればいい。繁殖には温度と水分と塩分とpH度が関係するので、対策としては冷蔵、乾燥、塩漬け(微生物は塩分濃度が18パーセントを越えると生きていけない)などが有効だ。
pH(ペーハー)については4・3度まで下がれば、健康被害をもたらす微生物がほとんど生育できないので、それをめざす。このとき乳酸菌が活躍する。
白菜などの野菜を放置しておくと、たいていドロドロに腐る。壷やタッパーウェアなどに入れて糠(ぬか)に漬けておくと、いつのまにか酸味が出て長持ちする。これは乳酸菌が繁殖して、大量の乳酸によってpHを下げたからである。pH中性程度を好む雑菌を乳酸菌の酸性力によって死滅させ、自分たちに都合のよい環境をつくっている。乳酸菌ワールドだ。
乳酸菌は漬物やヨーグルトづくりで活躍しているだけではない。清酒、味噌、醤油、チーズ、赤ワインでも重要なはたらきをする。すべて乳酸発酵による。
〜
花形なのに、発酵学を今日の大学ではあまり徹底研究していない。かつては山梨大学に発酵生産学科、阪大に発酵工学科、広島大学に醗酵工学科があったのだが、いまはない。これは問題である。まあ、そのぶん、生物学者たちが微生物の生態を研究するようになったので、いずれはそれが発酵学に結び付くのを期待したい。ポール・フォーコフスキーの『微生物が地球をつくった』(1622夜)、別府輝彦の『見えない巨人―微生物』(1623夜)などを読まれたい。
〜